北朝鮮が“激高”した「リビア方式」とは? 坂東太郎のよく分かる時事用語
北朝鮮にとっての「リビアの教訓」
米朝会談でトランプ大統領は「完全かつ検証可能で不可逆的な核解体」(CVID=Complete, Verifiable, and Irreversible Dismantlement)の原則で臨むはず。その範囲内で、北朝鮮にとって「リビア方式」のどこが受け入れがたい点となるでしょうか。 「開発計画を認める」ことについては、他でもない北朝鮮自らが核を保有していると叫んでいるので問題ありません。嫌なのは「即時かつ無条件に放棄」の部分でしょう。より厳密にいえば、先に核をすべて放棄させられた後に経済的な見返りを受けるという順番です。 もちろんリビアの核が研究段階に過ぎなかったのに対して、北朝鮮はすでに「保有」し、核実験まで成功させているという思いもありましょう。いわば「リビアとは格が違う」と。しかし何より重要なのは「その後のカダフィ政権」が北首脳部にとって反面教師となっているという側面です。 2011年、北アフリカのチュニジアで始まった「アラブの春」と総称される民主化運動の波がリビアにも届きました。カダフィ大佐は民主化勢力(リビアの場合、より正確には反政府勢力)の武力制圧を選択し、多数の死傷者が出ます。国連安保理はこれを非難する報道声明(拘束力なし)を出しましたが事態は収まらず、制裁決議(拘束力あり)へと進みました。主な理由は人道上の憂慮です。さらにアメリカ、イギリス、フランスなどが軍事介入して空爆で反体制側の「リビア国民評議会」を支援。勢力の大半を失ったカダフィ大佐は潜伏しながら抗戦を呼びかけられるも、反体制派に拘束、殺害されてしまいました。 もしカダフィ政権が核を保有していたら、そもそも内戦状態に陥らなかったし、仮にそうなっても米欧の軍事介入はなかったであろう――というのが北朝鮮の見立てです。人道問題が北朝鮮に存在するのは明らかで、いったん対立構図ができたら、米欧は反体制側に味方するに違いない。よって非核化を進めるにしても、段階的にして抑止力を担保しつつ、経済制裁の解除や金正恩体制の保証を進めていくというのが、北朝鮮にとっての「リビアの教訓」なのでしょう。 こうした北朝鮮の反発に対し、トランプ大統領は「『リビア方式』はモデルとしない」と否定し、「トランプ方式」を打ち出す姿勢を見せています。