いつも不安で憂鬱な人は「頭が良すぎる」から...気持ちを楽にする「脳の使い方」
「生きづらさ」の原因は、人間の頭がよすぎるから?
現代人の生きづらさの原因の多くは、「思考が強すぎること」にあります。思考が強すぎて、それにガチガチにとらわれてしまっているのです。 なぜ、思考が強すぎると苦しくなるのか。そこには「動物の本能」が関係しています。 動物は身に危険が迫ると、不安や恐怖、怒りなどを感じて、「逃げるか、戦うか」どちらかの反応をします。これは「逃走・闘争反応」と呼ばれる本能的なものです。そして、恐怖や怒りを感じると、心拍が速くなって呼吸が荒くなり、体は緊張して戦闘態勢に入る。これは、逃げるか戦うかの準備をしているのです。 私たち人間が感じる不安や恐怖、怒り、それによる様々な反応も、すべては本能的に起こるものなのです。 しかし、人間と動物が違うのは「人間は頭がよすぎる」という点です。人間はその賢い頭を使って、まだ起きていない未来の危険を予測したり、起こりうる出来事にネガティブな意味づけをしたりします。 例えば、「今度赴任してくる上司は、どうやら厳しい人らしい」といった噂を耳にしたとします。実際に赴任してきたわけでもなく、怒られたわけでもないのに、「仕事の進め方にダメ出しされないだろうか」「ミスをしたらこっぴどく怒られるかもしれない」などと、ネガティブな未来を考えただけで不安や恐怖を感じてしまう。 厄介なことに、このような不安や恐怖はなかなか解消できません。「目の前にはない不安や恐怖の対象」には、対応しようがないからです。 人間は頭がよすぎるからこそ、過剰に予測や意味づけをしてしまいます。頭の中の思考が強ければ強いほど、予測や意味づけも強くなり、感じる不安や恐怖も強くなってしまうのです。
「思考と感覚のバランス」の整え方
それでは、「思考と感覚のバランス」はどのように整えればいいのでしょうか。 ポイントは、強すぎる「思考(左脳)」を静めて、「感覚(右脳)」を目覚めさせることです。 例えば、自然に囲まれた山道を一人で登っている様子を想像してみてください。澄んだ空気の中、聞こえるのは風の音と鳥のさえずりだけ。周りには誰も人がおらず、さらに進んでいくと、立ち込める霧の先に深い緑の森が広がっている。 そんな時は、まるで自分が森にやさしく包まれて、溶け込んでいくような感覚になるはずです。「自分と世界がひとつになっている感覚」と言い換えられるかもしれません。 あるいは、美術館を訪れて美しい絵を眺めていたら、思わず見入ってしまい、あっという間に数時間が経っていた。そんな経験をしたという人もいるのではないでしょうか。まるで自分の周りだけ時間がゆっくりと流れている、もしくは「頭から時間の流れが消えたような感覚」になっているのかもしれません。 このように、人が自然や芸術にふれ、その美しさを深く感じている時、おそらく思考は静まり、感覚優位になっているはずです。それは、左脳(思考)が静まり、右脳(感覚)が活性化している状態と言えます。 強すぎる「思考(左脳)」を静めて、「感覚(右脳)」を目覚めさせるためには、とにかく頭を空っぽにして、なるべく思考は使わず、五感を総動員し、感覚で自分の周りにあるもの全てを感じる。 こうしたことを続けていると、少しずつ自分の周りにあるものの「見え方」が変化していきます。 葉っぱや木の表面の質感、道端に咲く花の色の鮮やかさ、風のにおい、空の青さ、太陽の輝き。すべてが生々しく、美しく、生き生きとしたものに感じられるようになるはずです。 苦しみから逃れる方法を考えるほど、私たちはますます思考を強くしていきます。論理的思考力を高めていけば、この苦しみから抜け出せるはずだ、と。しかし、思考を使った努力は、自分を苦しめている殻をさらに硬く、頑丈にするだけで、ますます苦しさから抜け出せなくなってしまいます。 それならば、一旦思考することから離れて、感覚だけに身を委ねてみてはどうでしょうか。今まで自分を覆っていたモノクロの硬い殻が割れ、急に視界が開けて、目の前にカラフルでリアルな世界が現れたような感覚になった時、私たちの左脳(思考)は静まり、右脳(感覚)が活性化している状態になるのです。
枡田智(森林療法士・マインドフルネス瞑想指導者)