東大コンプを拗らせた昔の東北大生の「コンプレックス解消法」あまりに器が小さかった
戦前の学校体系は複線的で、人材育成目的も就学期間もまちまちだったが、戦後は6-3-3-4の単線的進学ルートに統一された。誰でも大学まで進めるようになった一方、学校を横に並べて比較することも容易になった。 戦前の場合、年齢も進学ルートもバラバラの帝国大学と専門学校と師範学校の優劣を比べてもあまり意味がないが、同じ「大学」であれば小さな差異まで比較検討される。前出の筑波常治は、新制東北大学の農学部に入学したが、同級生たちの東大コンプレックスに「唖然となった」という。筑波自身は、東大と地方旧帝大の差は月にたとえると「十五夜と十三夜」程度だと考えていた。だが、どうも周囲は「太陽と三日月」だと思っているようなのである。 ● コンプレックス解消法は 実際には役に立たない 筑波が観察した東北大生の東大コンプレックス解消法は4つある。第1は、開きなおって東北大の優秀さをひたすら強調することである。だが、これには「たえず誇大宣伝をやっているという後めたさ」がつきまとう。
第2は、東北大卒でも努力次第では東大卒を凌駕できると自分にいい聞かせ、東北大出身の成功者を思い浮かべることである。たとえば東北大出身で東大教授やがて総長となる茅誠司(編集部注/物理学者、第17代東京大学総長)など。このやり方だと、やはり東北大は東大に比べて人材が少ないという結論に終わる。 第3は、京大以下の地方帝大、一橋、早慶など比較対象になりうる大学の欠点をあげつらい、優位を誇ることである。だが、この種の大学に見出される欠点は東北大にも共通することが多く、結果としてヤブヘビになる、という。 第4が、東北大よりはっきり「劣っている」と思われる大学を相手に優越感を振り回すことである。その対象に選ばれがちなのがいわゆる「駅弁大学」であった。「東大その他のまえに、はっきりカブトをぬぎ、それによっておこる劣等感を、田舎の新制大学その他にたいする優越感でおぎなって、感情のバランスをとる」(筑波前掲書)。