逮捕に自殺……韓国大統領に繰り返される悲劇は断ち切れるか
2016年12月9日、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領が、収賄や職権乱用などを理由に議会の弾劾手続きで罷免されました。大統領職を失った朴氏に対して、3月21日には検察が取り調べを開始、31日に逮捕されました。5月には新大統領を選出する選挙が行われる予定です。 【写真】韓国の朴槿恵大統領が反日的な4つの理由とは?(2013年12月掲載) 朴槿恵氏に限らず、韓国では多くの大統領経験者が悲惨な最後をたどってきました。これまでの多くの大統領がたどった道を見つめ直すことで、韓国の今後の行方を考えます。(国際政治学者・六辻彰二)
民主化後も目立つ大統領糾弾
韓国では1948年の独立により、大統領が国家元首の共和制が誕生しました。しかし、北朝鮮と隣接する冷戦の最前線だったことも手伝って、冷戦時代には軍出身者が権力を握る事実上の軍事政権が定着。この間、朴氏の父親である朴正煕(パク・チョンヒ)氏(在任1963~1979)は、大統領在任中の1979年に暗殺されています。 1987年、野党だけでなく労働組合や学生団体、キリスト教会などの抗議運動の高まりを受けて、韓国政府は民主化を決定。翌1988年、国民が直接選挙で大統領を選出する、現在の憲法が採択されたのです。この体制は韓国では第六共和国と呼ばれ、朴氏はそのもとで6人目の大統領でした。 しかし、朴氏に限らず、民主化後も韓国では大統領経験者が任期の末や退任後に糾弾されることが目立ちます。 その端緒は第六共和国最初の大統領、盧泰愚(ノ・テウ)氏(在任1988~1993)でした。盧氏は軍政を支えた一員でしたが、第六共和国憲法の導入に伴う1987年12月の大統領選挙で当選。しかし、退任から2年後の1995年、軍政時代の汚職と人権侵害の嫌疑で、最後の軍人大統領、全斗煥(チョン・ドゥファン)氏(在任1980~1988)とともに逮捕されたのです。裁判では全氏に無期(一審は死刑)、盧氏に17年の懲役刑の判決が下りました(2人とも1997年に特赦で釈放)。 廬武鉉(ノ・ムヒョン)氏(在任2003~2008)も退任後に糾弾された大統領の一人です。退任の翌2009年、親族や側近が相次いで収賄容疑で逮捕され、廬氏自身は検察の取り調べを受けている最中に自殺。死の2か月前に書いた文章には、「得られるものに比べ、失わなければならないものの方がはるかに大きい」と、政治家になったことを後悔する文言が並んでいました。