イタリアーンないすゞ車!? 当時の国産車の倍もしたのにヒットしたクルマ いすゞ117クーペがオシャレすぎた!
振り返ってみて、歴史に残るクルマというものがいくつか存在する。その中で「いすゞ 117クーペ」もまちがいなくそのひとつに数えられよう。上質なクルマづくりをモットーとしていたいすゞがイタリアとタッグを組んで開発したこのクルマは我々の想像を超えるぞ……。 【画像ギャラリー】スタイリングもエンジンもイタリアンテイスト!!手づくりという製造方法までイタリアを感じるいすゞ 117クーペ(8枚) 文・画像/いのうえ・こーいち
■イタリアン・カロッツエリアの作品
いすゞ117クーペを語るとき、まずそのスタイリングとボディの製作法が話題になる。 わが国の乗用車の発展期、海外のデザイナー、特に先端をいっていたイタリアのカロッツェリアから学んだところは少なくなかった。公にはせずにしたメーカーもあったが、逆にイタリアンメイドを売りものにして、成功した代表がこのいすゞ117クーペだ。 ところで「デザイン」というが、クルマに関していえばデザインはメカニズムを含む設計に近いことで、ボディ・デザインはスタイリングという。 117クーペのスタイリングはイタリアのカロッツェリア・ギアに依頼、スタイリストとしてジウジアーロの名前があがる。当時生産中であった2ドア/4ドア・サルーンのいすゞ・ベレットのシャシーをイタリアに送って、プロトタイプがつくられたのだった。 このプロトタイプというのが、またイタリア式で、ショウに飾られたプロトタイプはそのまま走り出せる完成形であることが多かった。 つまり、手づくりで一品もののプロトタイプをつくりあげる、その技術とノウハウを持っていたのである。長く、少量生産のオーダーメイドに近いクルマづくりをしてきたイタリアならでは、であった。 で、いすゞ117クーペの場合も、ほぼ完成形のプロトタイプを1966年のジュネーヴ・ショウで「ギア・いすゞ117スポーツ」の名前で展示、一躍脚光を浴びたというわけだ。
■実際の生産に至るまで
反響の大きさもあって、じっさいの生産にするという決断がくだされたものの、さてどうやって形づくるものか。 そこで、イタリアのカロッツェリアのひとつ、サルジョットさん率いるカロッツェリア・サルジョットから4人のクラフツマンが来日し、いすゞのスタッフと一緒に実際にボディ製作を行ないながら生産ノウハウを伝授した、という。 ちょうど新開発中だったひと回り大きないすゞ・フローリアンのシャシー利用に変更されたが、手づくり部分を多く含むボディ・スタイリングを売りものにしたいすゞ117クーペは、そうして完成されたのだった。 発売は1968年10月。PA90系と名付けられたいすゞ117クーペには、172.0万円というプライスタグが下げられた。輸入車よりは安価だけれど、当時の一般的な乗用車の倍以上。手づくりで月産50台、という高級路線が打ち出された。 エンジンにも手が入れられ、それまでいすゞ・ベレットなどに使われてきたOHVエンジンのヘッド部分をモディファイ、DOHCエンジンを開発、搭載する。水冷直列4気筒DOHC1584cc、120PSは当時の日本車の中で一級の性能の持ち主、といえた。 このエンジンにも、イタリアのチューナー、コンレロ社の味付けが行なわれたといわれ、まさしく日本製イタリア車という形容が相応しいものとなった。
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