ビクトル・エリセ監督作『瞳をとじて』、映画と人生の意味を探すミステリー。
『瞳をとじて』
謎めいた隠遁生活を送る富豪の屋敷を探偵が訪れる。アクの強いキャラの富豪が持ちかけるのは、とある人探しの依頼だ。しがない探偵はビジネスライクに引き受ける。特に天才的な推理力の持ち主でもない探偵は、グダグダと事件の周囲を嗅ぎ回るうち、複雑な真相に運良くたどり着く。そうして依頼主の人生の闇に真実の光が照らされ、探偵は苦い顔で次の仕事に向かって去っていく。 ……というのが典型的なハードボイルド小説の筋立てだ。読者がこう問いたくなることはないだろうか? ところで探偵自身の人生にはどんな意味があるのかと。
『瞳をとじて』はその問いに答えるような映画だ。 上述したような典型的な「依頼主と探偵」を描くファーストシーンをゆったりと見せた後、次のシーンで話は突然変わる。探偵役だった男が失踪したことが告げられ、「消えた探偵を探す別の探偵」が真の主人公として登場するのだ。 消えた男は元俳優で、それを探す男は元映画監督。ファーストシーンは2人が22年前に撮ろうとした映画のワンシーンだった。消えた盟友の人生を遡行することは、主人公自身の人生の意味を探す旅となる。 主人公の元監督はわずか2作目の映画が主役の失踪で頓挫し、映画業界を去ったという設定なのだが、本作の監督ビクトル・エリセは3作目の『マルメロの陽光』から実に31年ぶりの新作発表だ。これはエリセ自身の映画人生の意味を探る旅に違いない。 劇中には主人公の仲間だった編集マンが登場し、フィルム撮影時代への懐旧も描かれる。フィルムによる映写は暗闇の中でしか見えない。映画は闇を照らす光であり、意味の分からない人生に仄かな光を照らしてくれるのが映画だった。 エリセの長編第1作『ミツバチのささやき』が牽引した’80年代のミニシアターブームを知る映画ファンなら、あの少女だったアナ・トレントの50代の姿を見ることは、自分自身の映画観賞人生の意味を探るミステリーにもなるかもしれない。