【追悼‘24】「私はそろそろいいのかなって…」〝炎上上等〟の小倉智昭さんが最後に吐いた〝弱音〟
‘24年も多くの著名人が惜しまれつつ旅立っていった。過去に本誌が紹介してきた記事などをもとに、往時の活躍をふり返り、故人を偲ぶ──。 【大丈夫なやつ?】すごい…夜の街に小倉さんが若い美女と連れ立って…… ◆医師から「頑張らなくていいですよ」と 12月9日、『情報プレゼンター とくダネ!』の司会者として22年間フジテレビの〝朝の顔〟を務めたフリーアナウンサーの小倉智昭さんが77歳で亡くなった。 小倉さんは’16年に膀胱がんであることを公表。’18年に膀胱を全摘出する手術を行い、その後も肺や腎臓などに転移したがんと闘い続けた。11月8日に収録が行われた『小倉ベース』(フジテレビ系)では元気な姿を見せていたが、その後、体調が悪化して入院。12月4日に医師から治療の手立てがないと宣告されて6日に自宅に戻っていた。 『とくダネ!』のサブキャスターとして小倉さんとともに番組に出演していたフリーアナの笠井信輔(61)は、亡くなる2日前に小倉さんと電話で話したという。そのときの様子を10日放送の『めざまし8』(フジテレビ系)の中で、次のように明かした。 《もう先生に『頑張らなくていいですよ』と。それで(小倉さんが)『もう諦めたんだよね』って話をされて。声が枯れていて、非常に弱々しかったんですよ。これはもう……最後は自宅でということなんだろうなと、察しがつきまして》 小倉さんは1947年に秋田県で生まれた。吃音症を克服するためにあえてアナウンサーを目指し、’70年に東京12チャンネル(現テレビ東京)入社。競馬実況アナとして頭角をあらわし、大橋巨泉にスカウトされてフリーアナウンサーとなる。だが、フリーになってしばらくは仕事がなく、税金や別れた前妻への養育費、公共料金の支払いが滞る日々が続いたという。 しかし、『タミヤRCグランプリ』(テレビ東京)や『世界まるごとHOWマッチ』(毎日放送)でのナレーション、『小川宏ショー』のリポーターで注目されるようになった。ラジオパーソナリティとしても、その巧みな話術で人気となり『とことん気になる11時』(文化放送)をはじめとする昼間の帯番組のパーソナリティを務め、テレビの情報番組に司会として起用されるきっかけとなった。 ◆愛されていた「嫌いな司会者」 数々の番組でMCを務めた小倉さんだが、やはり‘99年にスタートした『とくダネ!』を抜きにして、彼を語ることはできないだろう。MCを引き受けるにあたって小倉さんは「毎回、冒頭でフリートークをやりたい」という条件を出したという。どんなテーマをとりあげるか、本番前には誰にも相談せず、小倉さん自身の言葉で時事問題について語るこのコーナーは『とくダネ!』の名物コーナーとなった。ときには話が熱を帯びて10分以上にわたってしまい、別のコーナーが飛ぶこともあったそうだ。 小倉さんといえば切っても切れないのが「炎上」だ。フリートークやニュースへの、辛辣だったり、ときには素直すぎるコメントがネットで拡散されて物議を醸すこともしばしばだった。これに関しては、小倉さんとしては確信犯的なところもあったようだ。8月に放送されたラジオ番組『TOKYO SPEAKEASY』(TOKYOFM)の中でこう語っている。 《(番組をやっていて)ヒヤヒヤするようなこともあったし、逆に〝これを言っちゃったら、たぶん炎上するだろうな〟って分かったうえで炎上したときは痛快だったけどね(笑)。スタッフみんながスタジオを走り回っているのがわかるんだよ》 「嫌いな司会者」として名前が挙がることもあった小倉さん。仕事には厳しい反面、打ち合わせや反省会ではスタッフに対して優しく、気配りもしていたことから、スタッフからは愛されていたという。 フライデーは音楽を愛した小倉さんが行きつけだった東京・南青山のジャズクラブ『ブルーノート東京』で何度か目撃したことがある。「小倉さ~ん!」と、何人もの一般のお客さんから声をかけられて、ニコッと笑って手を挙げて応えていたのが印象的だった。 ‘18年の膀胱全摘出手術のために11月27日から’19年1月6日まで休養をとった小倉さんだったが、復帰後は番組が終了する’21年3月26日まで『とくダネ!』のMCであり続けた。だが、やはり弱気になることもあったようだ。同年の1月13日に『とくダネ!』の終了を番組内で報告したときにはこんな〝弱音〟も語っていた。 《病気してから、ネット情報とか見るようになっちゃったんですね。そうすると、やっぱり『老害じゃないか』とか『ボケてるんじゃないか』とか、キツいものなんですよ。で、お年寄りの政治家を見ると『ああ、やっぱり年取るとダメだな』なんて、少しずつ思うようになりました。そんなこともあって、私はそろそろいいのかなって……》 小倉さんは妻のさゆりさんと愛犬に看取られながら旅立ったという。 ご冥福をお祈りします──。
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