ナゴヤ球場からドラゴンズが去る日~本拠地移転に思う感動の歴史と別れの哀愁
近藤のノーヒットノーラン
ナゴヤ球場に改名してからもドラマは生まれた。1987年(昭和62年)8月9日、高卒ルーキーの左腕・近藤真一(現・真市)が、プロ入り初登板を初先発で飾った。その相手は讀賣ジャイアンツ。この抜擢は星野仙一監督の英断だった。近藤は、ストレートに得意のカーブをおり交ぜて、巨人打線を抑え込んでいく。そして、ノーヒットノーランの達成。球団史に大きな1ページを刻んだ。それもナゴヤ球場の思い出のひとつ。
星野監督の感動スピーチ
1軍の本拠地がナゴヤドーム(当時)に移る前の最後の公式戦も、相手はジャイアンツだった。伝説の「10・8決戦」から2年後の1996年(平成8年)10月6日、ドラゴンズは試合に負けて、ドラゴンズファンも"ナゴヤ球場お別れ試合"で長嶋茂雄監督の胴上げを見ることになった。試合後のセレモニーで、星野仙一監督が見事なスピーチをナゴヤ球場に送った。 「さようならナゴヤ球場。最高の球場だと思っております」。 スタンドで見守りながら、感無量だった。これもまた、ナゴヤ球場の思い出のひとつ。
巨大電球は何を語る?
数年前に本拠地ドームで開催された「懐かしのドラゴンズグッズ展」にも出品したが、筆者の手元には、ナゴヤ球場照明塔の巨大電球がある。8基あった照明塔に取り付けられていた直径1メートルほどの電球。照明塔が撤去される際に「廃棄するならひとつ下さい」と許可をもらってもらい受け、大切に保管してきた。 晴れた日だけではなく、雨の日も風の日も、ドラゴンズの歴史を見守ってきたであろう"巨大な目玉"。そんな逸品も、今回の本拠地移転に感無量の思いであろうか。巨大電球も淋しさを越えて、新時代へエールを送ることだろう。 2026年に球団創設90年を迎えるドラゴンズ球団にとっても、ずっと応援を続けるファンにとっても、ナゴヤ球場の思い出は"語り尽くせない"数の多さである。それが歴史と伝統。球団は、現在の選手寮や屋内練習場も球場と一体として移転させる構想という。ナゴヤ球場が"竜のレガシー(遺産)"として何らかの姿で残ってほしい思いと共に、誕生する新しい"ドラゴンズタウン"が、新たな感動を積み重ねながら、球団史のページを増やしていくことを夢見る新春である。 【CBCマガジン専属ライター・北辻利寿】 ※中日ドラゴンズ検定1級公式認定者の筆者が"ファン目線"で執筆するドラゴンズ論説です。著書に『屈辱と萌芽 立浪和義の143試合』(東京ニュース通信社刊)『愛しのドラゴンズ!ファンとして歩んだ半世紀』『竜の逆襲 愛しのドラゴンズ!2』(ともに、ゆいぽおと刊)ほか。CBCラジオ『ドラ魂キング』『#プラス!』出演中。
CBCテレビ