イラクで一時拘束の常岡浩介氏が会見(全文1)イスラム国メンバーではない
キーホルダーは役に立つと思い、持ち歩いていた
このキーホルダーというのは、受け取ったあとで、これはいわゆるメイド・イン・イスラム国のものなのだろうかと私は思いまして、だとすると、資料的として重要なのではないかと思いました。去年の9月がイスラム国を取材したタイミングだったんですが、帰国してすぐにフジテレビの番組で、そのキーホルダーもすでに紹介しております。ただ、そのあと中東の諸国ですとかヨーロッパで、あちこちで、そのキーホルダーを見せて、知らないかと。どういうものか分からないかといろんな人に聞いてみたところ、イスタンブールの土産物屋で売っていたよという人がいまして。まったくイスラム国と関係なく、イスラム国のファンのような人たちのために土産物屋で適当に作った物なのかもしれない。ただそういう話を聞いただけで、いまだに確認できていません。 私としましては、そのキーホルダーの正体が知りたいというのが1つ。もう1つは今、中東はどこへ行ってもイスラム国ファン、イスラム国支持者といった人がまったく珍しくなくなっています。それからイスラム国の元メンバーですとか、そういった人に会う機会もあります。そういう中で、そのキーホルダーを持っていることで何かの役に立つのではないかなというふうに思って、持ち歩いていたというのが今回の経緯です。 ただし、モスル奪還作戦の取材の真っ最中に、しかも大統領の記者会見のセキュリティーチェックの場で、そのキーホルダーが普通にポケットに入った状態のバッグをそのままぽんっと出しちゃったというのは、まったく自分の間抜けさ以外の何ものでもありませんで、本当に反省しております。
拘束と取り調べ、釈放までの経緯
そのまま今回の拘束、それから取り調べの経緯についてご説明させていただきたいと思います。拘束されたのはイラク北部、モスルの奪還作戦の取材の最中。この最大の激戦地、バシカという町があるんですが、そこをイラクの連邦大統領が視察するという出来事がありまして、視察のあと記者会見が行われる。その記者会見に出たいということで申し入れていたんですが、その前の、記者会見に入るためのセキュリティーチェックの中でそのキーホルダー、キーチェーンが見つかってしまったということで拘束されました。 すぐに手錠を掛けられて車に乗せられて、最前線の山の上からクルディスタンのキャピタル、アルビルという町まで連行され、クルディスタン、クルドの治安機関、アサイシュという組織のオフィスに連行されました。これが27日、先月27日だったんですが、この日と翌日の2日間にわたってアサイシュの取り調べを受けました。 アサイシュの尋問に対して私はほとんど、ほとんどというよりまったく隠し事などはする必要も感じていませんでしたので、自分の取材の経緯などについて丁寧に説明をいたしました。最初の1時間くらい、アサイシュの捜査員は非常に厳しい表情で口調も激しいものでしたけれども、そのあとは和やかな雰囲気になってきました。さらには爆笑、爆笑尋問会みたいな感じになってしまいまして、だんだん緊張感もなくなった感じになりました。 なんでそういうふうになったかということなんですが、私の説明がもともとイスラム国を取材する意図もなかったのに、ほかの、実はチェチェン人グループを取材しようとしていて偶然、イスラム国の司令官と現場で会ってしまった。私のほうはまったく予想していなかったのに、首切りで有名なイスラム国に迷い込んだ形になってしまったために、司令官の前で、何しろ首を切られたくないものですから一緒に写真を撮ったり、銃を持った写真を撮ったりといったことをやって、それを目の前でTwitterにアップロードするというようなことをやって、フレンドリーな雰囲気をアピールしたわけです。 さらに、私はもともとロシア語でチェチェン人を取材する予定だったこともありまして、アラビア語がまったく分かりません。司令官のほうはアラビア語なんですが英語がほとんど分からない人でしたので、彼とFacebookのチャットで連絡がつく状態になったものの、日本とシリアの間でのやり取りでは、司令官のほうからI love youというのがやってきて、僕がそれにme tooと答えるというような、非常に幼稚なやり取りを何週間も続けてるというのが続きまして、そういった経緯についてこちらとしては真面目に説明したつもりなんですが、捜査員のほうはもう面白がってしまい、お笑い会見みたいになってしまっておりました。 2日目の、その前に、さらに2回、ごめんなさい。2014年の9月に彼らのキャピタル、ラッカに訪問した経緯などについては、捜査員たちは、彼らはインテリジェンスサービス、情報機関でもあるんですけれども、そういった観点から非常に強い関心を示しまして、イスラム国側はどんな形で連絡をしてきて、アジトはどの位置にあってどんなメンバーがいてといったことを細かく、重箱の隅をつつくように聞いてきました。2日目の尋問が終わったときに、彼らのリーダー格が、私たちはあなたが危険な人物だとは思わない。この上で、私たちはあなたのスマートフォンを調べることになる。そのあとあなたを釈放します、ということを言ってきました。 そう言われたものですから、私としては完全に良かったと、大ごとにはならなかったと、もう釈放が近いというふうに考えていたんですが、そのあと4日間、まったく尋問も何もないまま、独房にずっと転がされている状態っていうのが続きました。中東の人たちの仕事が早くないというのは分かっていましたので、スマートフォンの分析に時間がかかっているんだろうと思っていたんですが、8月の3日になって、来なさいと言われて独房の鍵が開けられて連れていかれたところには、クルドのアサイシュの幹部の人と、日本大使館の方がいらっしゃいました。私のほうは、日本大使館が動いてるってまったく知りませんでしたので驚いたんですが、大使館員の方がおっしゃるには、今、クルド側から日本側にあなたの身柄を引き渡してもらうということで、話を進めています。ただし、クルド側は非常に強硬でもありますと。だから、今後どうなるかまだ分からないけれども、われわれは努力しますというような説明をされました。私は、もう釈放されるみたいなことを聞かされていたものですから、その風向きがどこかで変わったんだろうか、というふうに思いました。