相次ぐ水害と過疎化対策に「住まい方改革」を
限界集落にも「居住の集約」
ここでいう「集合居住」とは、長屋、アパート、団地、マンションなどと呼称されてきた、いわゆる集合住宅のみならず、複数の建築が一体化された場合を含めて、集合的かつ共同的な居住と生活の形態を指すものとする。これまでは主として大都市の過密を解消する概念であった。しかし今はむしろ「集合居住」を地方の過疎化対策として考える必要があるように思える(拙著『インテンシブ・シティー―都市の集約と民営化』鹿島出版会)。 少子高齢化から地方の過疎化が進んでいる。ライフラインを保ち、日用品を供給し、教育や医療や介護の質を保つのが困難な地域が増えている。いわゆる「限界集落」だ。現在はこういった地域においてこそ、集合居住による都市機能と生活機能の集約を図るべきではないか。 高齢者には介護が必要であり、働く親には保育が必要であるが、どちらも生産年齢の働き手を必要としている。昔は複数世代の大家族によって、互助的にやりくりして生活してきたのだ。もちろん高齢者施設と保育園を一緒にすればいいというほど簡単なものではないが、現代の日本では、特に地方では、そういった互助的な関係を可能にする新しい居住形態を模索してもいいのではないか。 日本は、急速な近代化によって、伝統的な社会構造と家族構造が破壊され、一挙に個人主義的な核家族の社会が到来した。人口が増加し経済が成長する時代にはそれで機能してきたのであるが、今はそのひずみが出てきたのである。 昔の大家族制度に戻すことはできないだろう。しかし高度成長期のモデルであった核家族像を脱皮して、新しい家族像を模索する可能性は残されている。すでに高齢化に対しては、老人ホーム以外に老人保健施設やデイケアやグループホームといった取り組みもなされているが、こういったものを、より一般的な「住まい方の改革」として、集合居住による生活機能集約として、総合的に考えることはできないだろうか。