相次ぐ水害と過疎化対策に「住まい方改革」を
美意識の列島・災害の列島
日本は、美しい海と山と川に恵まれた国であり、それにともなうデリケートな情緒の美意識が育まれた。しかし自然災害も多く、常に地震、台風、豪雨などに見舞われ、火災、水害、土砂崩れなどが発生する。いわば美意識の列島であるとともに災害の列島でもあったのだ。しかも稀に見る木造建築文化の国であるから、人々は「火事と喧嘩は江戸の花」「災害は忘れたころにやって来る」というような、半ば諦めを胸に、むしろ災害からの復興に団結力を発揮してきたのである。 しかし近代の人口爆発と都市集中によって、関東大震災と東京大空襲ではともに10万人規模の死者を出した。これは木造建築の密集が火災に弱いという問題に手を打たなかった、ある意味で人災でもあった。その反省から、建築を「地震と火災に耐える」ものとすることが建築基準法の基本方針となり、あらゆる建築技術がそのことを目標として開発されてきたのである。 しかし「水害」に対しては、建築技術の「枠外」であった。 近代以前には、祈祷によって雨や海や川の荒ぶる神をなだめたが、近代には、堤防やダムや調節池など「治水」という「土木技術」によって対処してきたのであり、「建築技術」の問題ではなかったのである。
土木と建築の相克
RC構造や高層化という近代技術が発達した現在では、大水害に対して建築的に対応する方が合理的であるにもかかわらず、行政は相変わらず土木的な対応を取り、そこに膨大な税金が投入される。つまりそれは政治家と所轄官庁とゼネコンの強い結びつきによって維持されるべき社会構造であったのだ。 一般の人には理解しにくいところだが、日本社会の特徴として、学術と技術において土木と建築はハッキリと分かれている。しかしいわゆるゼネコンにおいては一体であり、所轄官庁は圧倒的に土木寄りである。土木は「官」、建築は「民」であり、行政として大規模な税金を投入できるのは土木であり、建築はせいぜいが補助金による指導であった。 大陸では、ヨーロッパでも中東でも中国でも、都市は城壁に囲まれ、建築は連続的で、庭は中庭となって、つまり石や煉瓦を積んだ壁が、外部から内部を防御する構成となっている。「集合居住」によって安全を確保するという歴史的な伝統があるのだ。 しかし木造文化の日本では、都市を防御するという概念も、集合居住による安全という概念も希薄であった。