セレッソ大阪の水沼が史上初の親子天皇杯制覇
飯倉の逆を突き、下平の頭上を越えてきたボールを、宙を舞いながら頭で確実にヒット。無人のゴールに流し込み、着地したときには勢いあまってゴールラインを割ってしまう水沼の姿に、セレッソの玉田稔・代表取締役社長は思わず胸を熱くした。 「普通の選手だったら、あきらめるようなタイミングですよね。おとなしい選手がウチには多いなかで周囲を鼓舞するし、率先して誰よりも走る。セレッソを大きく変えてくれたと思います」 後半20分の同点弾は、水沼が放ったミドルシュートのこぼれ球を山村が押し込んだものだ。ヴィッセル神戸との準決勝で、敗退寸前の後半アディショナルタイムに奇跡の同点弾を豪快なボレーで叩き込んだのも水沼だった。 日産自動車時代からひと筋でプレーした父とは対照的に、出場機会を求めて移籍を繰り返した。ジュニアユース時代から所属してきたマリノスを飛び出したのは、プロ3年目だった2010年の夏。J2の栃木SC、J1へ昇格したサガン鳥栖をへて、2016シーズンにFC東京へ移った。 サガンでの4年間は124試合に出場するなど、充実した時間をすごした。しかし、さらなる飛躍を求めたFC東京では、シーズン途中の監督交代もあってわずか17試合の出場に終わる。復活を期した昨オフに届いたのが、セレッソからの期限付き移籍のオファーだった。 「個人的にすごく悔しい思いをして、このままじゃ終われないと思っていた。もう一度輝くために、もう一度自分がやりたいことをピッチで表現するためにセレッソに来ました」 そして、運命の糸は大阪の地で再び交わる。J1に復帰したセレッソは、2014年夏までサガンの監督を務めた尹晶煥氏を新指揮官として招いた。キャンプでは3部練習も課すなど、厳しい指導で知られる元韓国代表MFは、サガン時代に水沼を心身両面で鍛えあげた恩師だった。 「尹さんがやりたいことはよくわかるし、それをチームのみんなに伝えていくことが僕に与えられた使命だと思っている。キャンプ前に尹さんと話して、尹さんもそういう役割を求めてくれたので」 こう振り返る水沼は率先して体を張り、尹監督が求める献身さと自己犠牲の精神をピッチで体現した。厳しさの裏にある指揮官の本当の思いを、サガン時代の経験をもとに仲間たちへ伝えた。