鎌田大地以外には? クラブとの別れ方が最悪だった選手10人。様々な理由で関係悪化に…
DF:アシュリー・コール(元イングランド代表) 生年月日:1980年12月20日 所属元:アーセナル 移籍先:チェルシー アシュリー・コールはレジェンドの一人としてチェルシーサポーターから尊敬を集めている。しかし、もともとはアーセナルの選手であり、グーナーは宿敵へと移籍したこの男のことをあまりよく思っていないだろう。 アーセナルの下部組織出身の同選手は、2001/02シーズンから左SBのレギュラーに定着した。若くしてアーセナルの黄金期を支えた世界屈指の左SBとして評価を高め、同シーズンのプレミアリーグとFAカップの2冠や2003/04シーズンのリーグ無敗優勝など多くのタイトル獲得に貢献。2002/03シーズンからは3季連続でPFA年間ベストイレブンに選出されている。 このままアーセナルで順風満帆なキャリアを歩むかと思われたが、2005年1月にアシュリー・コールがクラブに無断でチェルシーと移籍に関して会談を行ったと報じられた。当然ながら同じロンドンに本拠地を置くライバルクラブとの会談はサポーターの怒りを買うものであり、ロマン・アブラモビッチオーナーの下で豊富な資金力を生かした補強を行っていたチェルシーへの移籍の噂から皮肉を交えて「Ca$hley Cole(キャシュリー・コール)」というあだ名がつけられた。 その後、アシュリー・コールは2006年夏にチェルシーへと移籍。引退後、コールは“禁断の移籍”の理由を「勝利への意欲のためだった」と言及。お金が理由ではなかったと明かした。ただ、理由がなんであれ、クラブ生え抜きの主力選手がライバルクラブへと移籍することはアーセナルサポーターが許すはずがない。
GK:ティボー・クルトワ(ベルギー代表) 生年月日:1992年5月11日 所属元:チェルシー(イングランド) 移籍先:レアル・マドリード(スペイン) ティボー・クルトワは退団後のイメージの悪さからチェルシーサポーターに嫌われている。 2014年夏にレンタル先のアトレティコ・マドリードからチェルシーに復帰したベルギー代表GKは、正GKとして2度のプレミアリーグ制覇をはじめ4つのタイトル獲得に大きく貢献。ペトル・チェフという偉大なGKの後釜として収まり、クラブを長きにわたって支える選手の1人として期待されていた。 ところが、2017/18シーズン途中にクルトワはチェルシーの契約延長オファーを拒否し、アトレティコ・マドリード時代に生まれた子供たちが住むマドリードに戻ることを希望。最終的に3500万ユーロ(約49億円)の移籍金でレアル・マドリードへと去った。 移籍を志願した中での退団劇だったため、サポーターの心理的には心地よいものではなかっただろう。この事実に加えて、クルトワはレアル・マドリード加入後に「レアル・マドリードのレベルはチェルシーよりも高い」「サンチャゴ・ベルナベウは、スタンフォード・ブリッジより2倍は大きい。もちろん、まったく違う感覚がある。上を見れば人々の壁が見えるよ。一方、スタンフォード・ブリッジでは、空やスタンドの後ろのホテルが見えてしまうね」など、古巣のサポーターを刺激してしまうコメントを連発。この発言で、より後味の悪い移籍となってしまった。