<神戸児童殺傷事件> 元少年の手記「絶歌」を犯罪学の視点から読む
元少年Aは更生したのか
とすれば、母親が「社会的絆」であり続ければ、ダークサイドに再び落ちることはないかもしれない。性的サディズムについても、少年院を仮退院する際、法務省は「治癒した」と発表した。ただし「絶歌」では、死から異性への嗜好の転換は確認できない。 自尊感情(自己肯定感)については、罪悪感によって低下しやすいので、少年院での贖罪教育がどう影響したかは微妙だ。もっとも、手記の出版は自尊感情を高めた可能性がある。元少年A自身も、「僕が最後に行き着いた治療法が文章だった」(p.281)とか「書くことが、僕に残された唯一の自己救済」(p.294)と述べている。 問題は、他者への共感性である。「絶歌」では、「もう二度と人を傷付けたりせず、人の痛みを真っ直ぐ受けとめ」(p.283)と書いておきながら、「本を書けば、皆様をさらに傷つけ苦しめることになってしまう。それをわかっていながら、どうしても、どうしても書かずにはいられませんでした」(p.294)と述べている。これでは今回もまた、他者の心情よりも自分の衝動を優先させたと見なさざるを得ない。
「絶歌」が及ぼす影響は
衝動を抑えきれなかったのは出版社も同じだ。出版の社会的意義を強調するなら、売り上げの一部を犯罪被害者支援団体への寄付金にしてもいいのではないか。 印税については、出版に反対する遺族が受け取るとは考えにくい。こうしたトラブルを回避するためには、裁判所が犯人に犯罪の果実(収益)を放棄させて損害賠償に充当する制度の創設が望まれる(米国には「サムの息子法」と総称される同趣旨の連邦法と州法がある)。同様に、殺人犯のサイン入り写真や持ち物といった「マーダラビリア(殺人記念品)」の販売規制も検討すべき課題だ。 犯人の手記は犯罪の抑止力になるという意見はどうだろう。「絶歌」でも、人を殺してはいけない理由を、「もしやったら、あなたが想像しているよりもずっと、あなた自身が苦しむことになるから」(p.282)と述べ、過ちを犯さないよう諭している。 この種の発想は、「スケアード・ストレート(恐怖の直視)」に典型的に見られる。これは、非行少年に受刑者の話を直接聞かせる反面教師的なショック療法だ。しかし、米国での長年にわたる追跡調査の結果、非行少年がこのプログラムに参加すると再犯しやすくなることが分かった。どうやら、脅かすだけではかえって逆効果になるようだ。それよりも、物事の受け止め方や行動のパターンを変えるスキルトレーニングが再犯防止に有効であると報告されている。