甲子園初観戦で見た北照高に野球留学…中日のドラフト5位・高橋幸佑 自らをプロへと導いた“小6の夏の直感”
◇新時代の旗手2025~ドラフト5位・高橋幸佑 2018年、夏の甲子園第100回記念大会。小学6年の野球少年だった高橋は母・由佳さん(50)と初観戦し、ある高校に心を奪われた。南北海道代表の北照高。由佳さんが北海道出身ということもあり、自身は里帰り出産の札幌生まれ、横浜育ち。「あのユニホームで甲子園を目指したい」。直感で決めた進路。一般入試で合格し、野球留学が決まった。 ◆中日ルーキートリオ、緊張のラジオ生出演【写真複数】 小学1年時、周囲から誘われて少年野球チームに入団。七夕の短冊には「ホームラン100本打つ」と記したが、気付けばサウスポーとしてマウンドに立っていた。当時は最速120キロ台だった左腕が門をたたいた強豪校。旅立ちの日、最寄り駅に約20人の同級生が見送りに来てくれた。 ただ、慣れない寮生活に軟式からの転向、練習量の多さ。「本当に苦しかったです」。成長していく仲間と反比例するように痩せ、当初は80キロだった体重が60キロ前半まで落ちた。「練習を見学に切り替えたり、食事量をコントロールした。入部体験から投げ方はきれいでしたから」と上林弘樹監督。本人も同級生らに励まされながら、めげなかった。素材は一級品だからこそ、とにかく食べる。体重が戻ると、2年生から実戦で投げ始め、秋には140キロを超えた。プロ野球選手になると公言するようになった。 入部当初の苦労を両親が知ったのは今年、注目選手になってからのネット記事だった。弱音を吐かずに成長したが、一度だけ“SOS”があった。主戦投手として期待された2年秋の全道大会1回戦。センバツ出場がかかった試合で旭川実に逆転サヨナラ打を献上した。大舞台への夢が消え、両親にラインで「(北海道に)来ない?」。すぐに駆けつけ、祖父母の家でゆっくりした。「自分のせいでセンバツ切符を逃した。笑顔はなかったです」と父・代吉さん(54)。この時、闘志に火が付いた。 「このままではプロで通用しないと感じたと思う。あの時から変わった。授業の成績も良くなりました」と上林監督。2年冬からのトレーニングで体重は約7キロ増。今春にはU―18日本代表候補の強化合宿に選抜され、刺激を受けた。最後の夏大会は準決勝で敗れたが、やり切った達成感もあった。引退翌日からも後輩たちに交じって、毎日練習。心技体で成長を遂げ、最速149キロ左腕として運命の日を迎えた。 モットーは「いつでも明るく笑顔」。苦しさを乗り越え、悔しさを力に変えた左腕は次の舞台へ進む。「チーム優勝に導ける投手になりたい。みんなを明るくできればいいと思います」。竜の投手陣に仲間入りし、高橋スマイルをひときわ輝かせる。
中日スポーツ