レイオフ断行でも憎まれないCEO、会計ソフト大手の危機に挑む
幼少時に知った「起業」の裏側
■幼少時に知った「起業」の裏側 「お約束した通りに進んでいます。目標を達成するために的を絞った戦略を導入しています」 今年5月の決算発表で、シン・キャシディはそう述べた。彼女は、しばしば目標という言葉を口にする。そして、ともに内科医だった両親のこともよく話題にする。両親はケニアの首都ナイロビに住んでいたが、独立直後だったケニアの治安が悪化したためタンザニアに移り住んだ。シン・キャシディはそこで1970年に生まれた。一家はその後、小さな娘を連れてカナダに移住し、両親はあらためて医師の資格を取得して開業医となった。 「ふたりとも人のために尽くすことに熱心で、毎日をその目標のために捧げていました」 父親は毎年3月になると、3月31日の納税期限に向けて、小切手や領収書の入った靴箱をもってきて中身を台所のテーブルの上に広げては、作業の手伝いを娘に頼んだ。毎晩、小切手に記載された氏名、金額、項目、合計額を台帳にこつこつと手作業で書き込み、最終日には期限ぎりぎりの午後11時に郵便局に駆け込んだ。毎年の恒例行事のように納税のための細かい作業を繰り返したので、起業に対していかなる幻想ももっていないとシン・キャシディは言う。ひたすら我慢強く取り組むことが求められ、収入と支出がすべての勝負だと知っていたのだ。 カナダのオンタリオ州にあるウェスタン大学で経営学の学位を取得したシン・キャシディは、メリルリンチに就職し、まずはニューヨーク、次にロンドンでアナリストとして働いた後、英国の有料テレビ会社BSkyB(BスカイB、現スカイUK)に移ってやはりアナリストとして働いた。ロンドンでのルームメイトたちは米国人で、そのうちふたりはカリフォルニアに戻ることになっていた。ふたりを訪ねて行ったシン・キャシディは、スタンフォード大学の雰囲気と気候にすっかり魅せられてしまった。 そこで、サンフランシスコに本社を置くアプリ会社OpenTVに職を見つけ、事業企画を手伝うことにした。次に移ったJunglee(ジャングリー)は価格比較が可能なショッピング・サイトで、報道によると1億8000万ドルでアマゾンに買収された。次いで99年、シン・キャシディは、シリコンバレーで金融データ集約プラットフォームを運営するYodlee(ヨドリー)に事業責任者として迎えられた。所有権の一部と共同創業者の地位をオファーされた彼女は、それまでより低い給料に同意し、すぐさま仕事にとりかかった。