<挑む・’23センバツ>仙台育英・東北・能代松陽 チーム紹介/中 東北 選手自ら求め、考える 明るさと粘りを強みに /宮城
「洋(ひろし)さん」。2022年8月に就任した佐藤洋監督(60)を東北の選手はこう呼ぶ。「大人同士として向き合おう」と監督が求めた。東北で4度も甲子園に出場し、社会人野球を経て、プロ野球巨人で内野手としてプレーした。そんな新監督と選手が絆を深めたのは、11年の東日本大震災で甚大な被害のあった宮城県南三陸町への小さな旅だった。 学校内の寮で8月1日から選手と寝食を共にした佐藤監督。震災のことをあまり知らない選手が多いことに気づいた。同17日、スクールバスで南三陸町へ向かった。語り部から被災時の「ペットボトル1本の水のありがたみ」を聞き、今も残る津波の爪痕を見学した。佐藤監督は「選手には、甲子園よりもっと大事なことがあると気づいた上で、野球に取り組んでほしいと考えた」と振り返る。 現役引退後に少年野球に関わり、「大人が勝敗に拘泥するあまり、子供の伸びしろを奪っていないか」と疑問を抱いたのが、指導者としての原点だ。11年にNPO法人「日本少年野球研究所」を設立し、埼玉県内で小中学生の野球教室を始めた。遊びの延長のように体の使い方の基礎を教え、ボールを投げ、打つ楽しさを伝える。 東北での監督業も、その延長線上にある。「目標は甲子園ではなく、選手の成長とその先の人生。高校で燃え尽きてはいけないし、体を壊してはならない」が信条だ。練習で追い込まず、技術を教え込まず、ヒントを出し続けることで、選手が自ら課題を乗り越えようとするのを促す。 昨秋は接戦を勝ち上がり、東北地区大会で準優勝した。4番の佐藤玲磨(2年)は県大会中に不振で悩んでいる時、佐藤監督に「お前しか4番はいない」と言われた。大会中ともなれば自信こそが大事だと気づき、復調につなげたという。「監督は教えてはくれない。自分から聞き、自分で考える」と佐藤玲磨。個々とチームの成長が、選手の主体性に委ねられるのだから、「東北の野球は、実は大変厳しい」と佐藤監督は強調する。 だが、選手たちは「自ら求め、考える」という厳しさに「野球の楽しさ」を見いだしている。主将の佐藤響(2年)は「リードされても明るい選手が多く、競り合いの中で粘りを引き出す声が選手から出るようになった」と話す。その結果として手繰り寄せた12年ぶりのセンバツで、「『楽しむ』という僕らのプレーを見せつけたい」。46人の部員と「洋さん」の挑戦に注目だ。【藤倉聡子】