見応え&食べ応え抜群のエビフライ!「まるは食堂」の隠れた名物メニューもご紹介
名古屋めしのひとつに数えられる「エビフライ」。その中でも、本店がある豊浜の漁港で水揚げされたエビを使った「でっかいエビフライ」が名物の「まるは食堂」。多くの店舗が展開され、西は伊勢湾、東は三河湾の豊かな漁場が近いという抜群の立地を生かし、いつでも新鮮な海の幸を味わうことができることで、地元の人をはじめ多くの人に愛される同店ですが、今回はその人気の理由に迫ります。
魚の行商から始まったまるは食堂の歴史と創業者「相川うめ氏」の経営手腕
今年創業73年、中部国際空港(愛知県常滑市)や名古屋駅周辺、栄など7か所に支店が展開される「まるは食堂」。戦後間もない1950年に創業者・相川うめ氏が鮮魚の行商を始め、その後鮮魚店として開業したのが始まり。 そしてうめ氏は食堂から料理旅館経営に挑戦し、グループ会社を含む計6店舗にまで拡大させたほどの経営手腕を持っていました。約60年間、お客様・地域・家族・社員の為に「喜んでいただきたい」という一心で、会社の成長と発展にその身を削り尽力したそう。 まるは食堂で大切にされている、うめ氏の遺言の中に「報連相をちゃんとやればええ」という言葉がありますが、1960年頃に「ほう・れん・そう(報告・連絡・相談)」が経営理念として制定されており、現在よく知られている「報連相」の元祖ではないかと言われています。まるは食堂は屈指の凄腕の人物によって創り上げられたことが分かりますね。
代替わりによる苦境から脱出。2億円の費用をかけ、現在のまるは食堂の原型を作り上げる
まるは食堂は最初から順風満帆だったわけではありませんでした。現在は店舗が増えていますが、5代目社長が入社した当時は『料理の味が落ちた』『接客が悪くなった』と言われ、地元の人にも来てもらえないほどだったという。それは食堂だけではなく、旅館や温泉も経営することで忙しくなったことが原因でした。 そこで5代目社長は、経営の経験がないが故に『店をつぶすことになるぞ』と言われながらも、4年で2億円以上かけてまるは食堂の厨房を改装したり、名物のエビフライの大きさを18~20センチにそろえ、代々引き継いできた味付けを徹底するなど、数々の立て直しを進めることに。こうして現在愛される「まるは食堂」の姿が形作られていきました。