中村修二氏受賞で議論 ノーベル賞から見える「日本人」とは誰か? 首都大学東京教授・丹野清人
独自の血統主義の問題が起きてしまうのは、日本の国籍が戸籍制度とリンクして管理されているからである。初めてパスポートを取得するときや、一旦取得しても切り替えを怠っていて再取得しなくてはならないときに、パスポート申請書とともに戸籍抄本の提出が要求されることを考えると分りやすい。なぜ、戸籍の提出が求められるのか。それは、日本人は必ず戸籍簿に載らなければならないとされており、出生届が出されれば必ずいずれかの戸籍に入っているからである。もっとも無戸籍の問題等もあるので全く漏れがないわけではないが、少なくとも戸籍に載っていることを証明できればその人は日本人となる。 ところで、1950年の戦後の国籍法に合わせた戸籍法の下では、それまでの日本人の決め方が日本戸籍の人びとにも変化を起こした。戸籍に載る人びとの範囲が変わったのだ。1950年の4月4日(戦後の国籍法の公布日)以前の日本人の決め方は独自の血統主義とはいえ、血統主義の論理を貫徹させていた。すなわち、親が日本人であればどこで生まれようと日本人という論理だ(このため、ラテンアメリカ諸国や、ハワイ、カリフォルニア等に移民した日本人の子や孫も当然に日本国籍を有していた)。 ところが、日本国外で出生した場合に、大使館・領事館に決められた期間内に国籍留保届けを出さないと日本国籍を持てなくさせた。どこで生まれようと日本人の子は日本人というルールはなくなり、それまでだったら日本人とされた人が外国人となることになった。ノーベル賞報道を見ていると日本人と一言で語られてしまっているが、実は日本人とは誰を指すのかは時代とともに変化しているのである。 ----------- 丹野清人(たんのきよと) 首都大学東京・教授、社会学。主著に単著として『国籍の境界を考える』(吉田書店)および『越境する雇用システムと外国人労働者』(東京大学出版会)、共著として『顔の見えない定住化』(名古屋大学出版会)等がある。