中村修二氏受賞で議論 ノーベル賞から見える「日本人」とは誰か? 首都大学東京教授・丹野清人
毎年、秋になってくると今年は何人の日本人ノーベル賞受賞者がでるのかが話題になる。ノーベル賞に近いと言われている賞を誰がとっているとか、この人が有力だという報道が一斉に始まる。今年は物理学賞で三人の日本人の受賞者がでて、まちではこのことを伝える新聞の号外が配られた。だが毎年、受賞者が発表になると同時に、筆者はしばしば疑問に思うことにぶつかる。それは「日本人」受賞者という言い方だ。 一言で日本人といっても、日本人にはいろいろな意味がある。我々にとって、日本人とはどの範囲の人びとのことなのだろうか。最も公式的な日本人は日本国籍者としての日本人であろう。これは海外に出かけていくときに日本のパスポートを持っていく人びとのことだ。5年の有効期間のものであれば紺色の表紙のものを、10年の有効期間のものであれば赤色の表紙のあのパスポートである。 ところで、今年の受賞者3人のうち、一人はかつて日本のパスポートを持っていたが今は持っていない。マスコミで最も多く報道された元日亜の研究者でその時の発明が評価され、今回受賞に至ったカリフォルニア大学教授中村修二さんである。中村さんのような例は、ノーベル賞では決して珍しいことではない。2008年にやはりノーベル物理学賞を取った南部陽一郎さんもまた受賞時点では日本のパスポートを持っていない。二人とも日本国籍を離脱し、アメリカに帰化していた。これらの人びとは国籍法の上では外国人となる。
日本の国籍は、独特な法理論によって、日本人を決めている。多くの人びとは、日本の国籍が血統主義(jus sanguinis)によって定められていることを知っているだろう。日本の血統主義の国籍は明治維新後に西洋の法律を日本に移植しながら生まれてきたものである。明治のお雇い外国人ボワソナードらが起草にかかわって、当時の帝国議会を通ったが公布されなかった民法(一般に「旧民法」と呼ばれる)に国籍に関する諸条が載っており、これがほぼ抜き出される形で1899年に明治の『国籍法』が成立する。 しかし、ここで明文化された日本の国籍は、ヨーロッパ社会での血統主義とは全く異なる意味内容を持っていた。ヨーロッパ社会で血統主義が問題にされるとき、それは父母がどの民族(民族といっても現代の国民に近い意味でのものだ)であるのかというまさに生物学的なつながりだ。 ところが、日本の血統は必ずしも生物学的つながりを重視しない。例えば、第二次世界大戦の敗戦以前、日本は植民地の人びとにも日本国籍を付与していた(戸籍制度では異なる戸籍であったけれども)。それが、サンフランシスコ講和条約の調印とともに植民地の独立が確定すると、植民地出身の日本人は外国人となった(このとき旧日本人で、そのまま日本に滞在することになった朝鮮半島出身者が在日韓国朝鮮人となる)。 では、このときに独立する旧日本人と結婚していた日本戸籍の日本人女性はどうなったのであろうか。実は、この人びとも外国人となったのである。日本の国籍法では、日本人は日本戸籍(内地戸籍とも呼ばれる)に載らなければならないとされる。 朝鮮戸籍や台湾戸籍の男性と結婚し、朝鮮戸籍や台湾戸籍に入った日本人は日本人とならないのだ(1950年以前の国籍法・戸籍法の下では、日本人で異なる戸籍制度の間で結婚した場合には、男性の戸籍に入ることになるとされていた。そのため日本戸籍の男性と結婚した朝鮮戸籍の女性は日本戸籍に入って、戦後も日本人とされた)。すなわち、日本法が求める血統とは生物学的つながりではなく、日本戸籍に載っているかどうかであり、日本の家(イエ)に包摂されていることが血統になっている。