戦後79年一度も会ったことがない父の面影を探して
ジャカルタから飛行機を乗り継ぎ、ニューギニア島へ。そこから数日かけてヤカチを目指します。 現地ではインドネシア政府の職員も同行し、日本政府が建てた慰霊碑を訪れたり、当時を知る人を訪ねたりもしました。 「マノクワリからは四輪駆動でここまで行きます。ビントニというところ。このビントニから川渕まで行って、ベラウ湾というところに一旦出て、それからヤカチの方に川を遡っていくわけです」 ヤカチはまさにジャングルの中。人口300人ほどの小さな村で、大人も子どももみんな裸足でした。絹川さんは緊張していたものの、子どもたちの屈託のない笑顔に迎えられたといいます。 「言わなくてもいいことだったかもわからないけれども、ここまで転進して日本の兵が来ましたと。そのときにね、助けられたこともあるでしょうからそれに対してはお礼を申し上げますと、だけど、ひょっとしたらこちらの方に食料を求めて…害を及ぼしたこともあるかもわからないから、それについてはお詫びを申し上げますということは付け加えましたね。うん。皆さんのおかげでね生き延びて帰ってこられた方もおられますっていうようなことで。うちの父は残念ながら…ちょうど反対側のところだと思うけど、亡くなりましたので、きょうここに来させてもらいましたっていうようなお話をしましてね」 日本人かもしれない骨があったという場所では、小さな慰霊祭をしました。 「高知から持ってきましたお水とかお酒とかお米とか、父親だけではなくて皆さんに「一緒に帰ろう」と声掛けしましてね、本当に誰もが帰ってない、まだそこで亡くなられた方が誰も帰ってないということで…非常に胸を打たれますね」 一度も会ったことがない父、守昭(もりあき)さん。81歳になって、その存在を近くに感じることができました。 「本当に結構ハードなスケジュールで、いろんな冒険もありましてとても普段の生活では乗り切れないようなことも多々ありましたけれどもそれを平気でね、他の方に遅れをとることなく、全てのミッションがこなせたっていうのがね、本当に不思議なんですよ」「ある程度私も使命だと思って緊張感もあって、かなりアドレナリンがたくさん出てたかもしれませんけれども…でもやっぱりそれだけじゃなくて周りのね、そういう不可思議な目に見えない力のサポートがあったんだと思いたいです」
テレビ高知
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