二十歳のとき、何をしていたか?/綾小路 翔 心が折れ、逃げ出した19歳。 夜の街・歌舞伎町で揉まれ、 辿り着いた氣志團という出発点。
流れ着いたのは歌舞伎町。 二十歳の終わりに氣志團を結成。
寮を出て彼女の家に転がり込んだが、そんな精神状態では関係も悪化。さらに雪之丞さんとも喧嘩別れ。頼れる二人を失い、孤立無援になってしまった。 「雪之丞の家が下落合にあって、喧嘩したあと東スポを買ったら、『歌舞伎町/喫茶/日給1万5000円』という三行広告を見つけて。その足で新宿に向かいました」 そこはポーカーを行う、非合法の喫茶店だった。日払い欲しさに始めた仕事だったが、暴れる客をいなすため矢面に立たされ、日々顔を腫らすことに。さらに能力が買われ、系列店でもボコボコにされながらも、数か月の間にどんどん出世。ついに新店舗の代表を任されることに。 「これはまずいと思いました。嘘も方便と、『母の身に一大事があり、お暇をください』と言ったんです。そしたら、敵対していた他店舗の方々からも『おふくろさんのこと聞いたぞ』とか言ってお見舞金が次々に届いてしまい……。もう戻れないなと覚悟を決めて歌舞伎町を後にしました」 雪之丞さんと和解し同居を開始。夜の世界で心と体を酷使し、夢も消えつつあった二十歳の終わり、もう一度真剣に音楽と向き合ってみよう。そう思い、バイト雑誌で見つけた東高円寺のライブハウス、ロサンゼルスクラブで働き始めた。音楽活動に理解があり、練習スタジオを安く貸してもらえた。 「漫画『BECK』みたいな出逢いを夢見ていましたが、ギターを触ることもなく2年が過ぎたわけですよ。とにかく始めなくちゃと思って、東京の知人に片っ端から連絡して。ついに結成したのが氣志團です」 雪之丞さんに加え、早乙女光さん、毒蝮愛さん、そして翔さんの4人でバンドを結成。夢見るバンド像はあったものの、駒沢と歌舞伎町の日々が翔さんを変えていた。 「この2年間で自分の実力を客観視できちゃったんですよね。思い描いていたスターにはなれないと。革ジャンを着るパンクバンドも席が埋まってるし、Tシャツに短パンのオルタナティブバンドも大行列。誰もやってなくて、誰にも負けないことって何かないか。で、僕、学ランのコレクターだったんですよ。先輩や進学しなかった友人のを譲り受けて、たぶん個人での所有量は日本一。『ハイティーン・ブギ』という漫画で、バンドの衣装に悩む主人公が、暴走族時代の革のツナギを着るくだりがあるから、俺たちは学ランで行こうと」 こうして、“ヤンクロック”を標榜するバンド、氣志團が誕生した。転がる日々の先に、唯一無二の未来が待っていたのだ。 「上京してすぐにバンドをやれていたら、あっという間に挫折して木更津に帰ってたかも。失敗して、イリーガルな世界も見て、物事の捉え方とかわずかばかりの胆力が身についたのかな? 今思えば大事な時代だったのかもしれませんね」