ドランクドラゴン鈴木拓 炎上騒動を逆手に取るしたたかさ
■炎上きっかけで鈴木は一躍時の人に しかし、その作戦は思わぬ方向に独り歩きし始める。「攻撃者の追放ではなく、今度は僕をそっちのけで、攻撃側と味方側の戦いになってしまって、1時間くらい経つとツイッターがとんでもないことに。これが炎上のからくりです」と、鈴木の作戦は“火に油を注ぐ”形になってしまった。ところが結果として、この一連の騒動は鈴木にとって“ケガの功名”となる。ネットを中心にこの炎上事件が取り上げられ、鈴木の名が大きく露出。一躍時の人となった。 そんな中、鈴木はツイッターを突然、辞める。様々な憶測が飛び交い、またまた鈴木の名は話題に上るのだが、それこそが本当の“したたかな計算”だった。実は、炎上騒動のあった2012年といえば、ドランクドラゴンとしての唯一のレギュラー番組『はねるのトびら』(フジテレビ系)の打ち切りが決定した年。芸人として、“伸るか反るか”の状態でもあった。 「僕としては『はねるのトびら』が終わりを迎えて、ここで何かショックを与えないと芸人として消えると感じた。だから今度は、理由を言わずに急にツイッターを辞めてニュースになろうと思った。結果は自分の予想通り、話題になりましたね」と、窮地から放った博打が吉と出た。 ■“脱炎上”をしたたかに企む 今では“炎上”を自身のネタの一つとして取り込み、深夜バラエティを中心に異色を放つ存在に。それでも「炎上イメージがあって、CMオファーが来ない。これでは将来的にも生き延びることが出来なそうなので、そろそろ炎上は次の世代の芸人に任せて、僕は好感度を上げていきたい」と、脱炎上を“したたか”に狙う。 ■相方・塚地武雅の存在は「金づる」 ドランクドラゴンとしては、11月に久々の冠番組をスタートさせる。「僕らが司会を務めたらどうなるか、という形を見せる機会が少なかったので、そんな姿を皆さんに見てもらいたい。うちらは本当に面白いんですよ」と意気込む鈴木に、相方・塚地武雅の存在について聞くと「塚ちゃんの頑張りで子供を7歳くらいまで育てることができたので、『金づる』です。いや、これだと好感度下がりますよね。じゃあ、なんだろうなぁ……『最良の友』かな?」と笑い飛ばす。芸能界での目標を「蛭子能収さんがいるポジション。早く引きずり降ろしたい」と即答する鈴木の火種は、これからも消えることなく永遠にくすぶり続けそうだ。 (取材・文/石井隼人) 鈴木拓(すずき・たく) 1975年12月7日、神奈川県出身。1996年に塚地武雅とお笑いコンビ・ドランクドラゴンを結成。11月14日スタートBS12ch TwellV「ドランクドラゴンのバカ売れ研究所!」(金曜午後5:00)は、ドランクドラゴンとして久々の冠番組。所長役の鈴木と副所長役の塚地が、“秘密の研究所”に持ち込まれる噂の商品や生まれたばかりのサービスの魅力に迫る。公式サイト