小泉純一郎の「民間でできることは民間に」は正しかったのか…「利用者を無視する」日本の民間企業のヒドすぎる実態
「終わりのない成長を目指し続ける資本主義体制はもう限界ではないか」 そんな思いを世界中の人々が抱えるなか、現実問題として地球温暖化が「資本主義など唯一永続可能な経済体制足りえない」ことを残酷なまでに示している。しかしその一方で、現状を追認するでも諦観を示すでもなく、夢物語でない現実に即したビジョンを示せる論者はいまだに現れない。 【漫画】「しすぎたらバカになるぞ」…性的虐待を受けた女性の「すべてが壊れた日」 本連載では「新自由主義の権化」に経済学を学び、20年以上経済のリアルを追いかけてきた記者が、海外の著名なパイオニアたちと共に資本主義の「教義」を問い直した『世界の賢人と語る「資本主義の先」』(井手壮平著)より抜粋して、「現実的な方策」をお届けする。 『世界の賢人と語る「資本主義の先」』連載第16回 『「誰のためのJRか?」9000億円もの利益は株主に還元…国民をないがしろにするJRの「今後」』より続く
優先されるべきは利用者のはず
「民間でできることは民間に」――。 約20年前の小泉政権の時代にさんざん繰り返されたフレーズで、白状すれば当時は筆者も何の違和感も持たずに受け入れていた。だが、当時の郵政民営化を巡る熱狂の中で、いったいどれだけの人が本当にそのロジックを理解した上で賛同していただろうか。 政府の郵政民営化委員会のウェブサイトには「郵政民営化って何?」というコーナーがあり、そこには民営化について「民間に委ねることが可能なものはできる限り民間に委ねることが、より自由で活力ある経済社会の実現に資するとの考え方で、国または日本郵政公社が提供してきた郵政事業について、民間企業(株式会社)が経営を行うようにした改革のことです」と明記してある。一見もっともらしい説明だが、フランスやイギリスで水道が民営化された結果として料金が高騰し、サービスが劣化したことなどを見ると、「自由で活力ある経済社会」というのが何を指すのか、見え方は変わってくる。 「自由」というのは、市民的自由のことではなく、独占状態にある企業も含めた企業が営利を追求する自由(まさに新「自由」主義的な自由と言ってもいい)のことだろう。「活力ある」というのも、本来公共に属するべきものを市場に引っ張り出し、金儲けの道具に使うというゲームに参加できる人たちの活力であって、普通の人々の暮らしに郵政民営化で活力がもたらされることなど、あるわけがないことは冷静に考えればすぐにわかる。 同ウェブサイトには、郵政民営化で実現したことの一例として、「4キログラムまで全国一律料金で送付ができ、ポストへの投函や追跡サービスも可能なレターパックのサービスを開始」や、東京駅前のKITTE(JPタワー)などの商業施設の開業などが挙げられているが、これらは民営化などしなくてもできたものばかりである。