【動画】兵庫・尼崎のビリヤード店77年の歴史に幕 ── 亡き夫への想い胸に12月閉店へ
兵庫県尼崎市の阪神尼崎駅周辺。駅からほど近い住宅地に1937年(昭和12年)創業のビリヤード店「小林撞球場」がある。地元の人々に愛され、店主夫妻が店を営んでいたが夫が3年前に他界。以来、妻が1人で店を切り盛りし常連客らの支えもあって営業してきたが、体調がすぐれないことから今年12月で77年の歴史に幕を閉じることになった。閉店を惜しむ声が多く寄せられる中、おばちゃんは「最後まで頑張ります」と笑顔で話している。
創業当時「キャロム台が5台ある」と大阪まで噂になるほどに
ポケットのないビリヤードテーブル「キャロム台」が並びレトロな雰囲気が漂う店内は、平日でも多くの常連客でにぎわう。そんな様子を優しく見守るのは店主の小林シヅヱさん(83)。みんなからは「おばちゃん」と呼ばれている。一緒に店を営んできた夫の光雄さんが2011年5月に83歳で他界。以来、1人で店を切り盛りしている。 この店は光雄さんのおじである小林鹿蔵さん、ニワさん夫妻が開業。当時は尼崎市内だけでも40~50店ほどの同業者がいたが、戦時中に大半の店が廃業したという。 開店から1年半で鹿蔵さんが45歳で他界。以来、ニワさんが戦時中もこの店を守り続けた。シヅエさんは「ほかの店は、だいたい1店につきキャロム台が2台。けど、ここには5台もあったから、大阪にまで『尼崎に5台ある店がある』と噂が広まっていたらしい」と当時を振り返る。空襲警報などが鳴り響いた戦時中も、ニワさんが営業を続けたという。 ニワさんには子供がおらず、その甥にあたる光雄さんの妻シヅヱさんが1957年から店を手伝いはじめた。ニワさんは80歳まで店先に立っていたという。子育てとニワさんの世話をしながら店を切り盛りし、70年代ごろからは勤め先を退職した光雄さんが店を継いだ。
夫の死去で閉店考えるも、常連客の支えで店を続けた
「(光雄さんは)きっちりした性格で、いつもしっかり店の掃除してた。泥のついた靴で入ってきた人が歩いてたら、その後を掃除してたなあ」と話すのは長年通っている常連客の男性(61)。客がビリヤードを楽しめる「最高の状態」を保つため、様々な心遣いを忘れない光雄さんと、シヅヱさんの明るい人柄に惚れ多くの客が通った。 だが、光雄さんが病に倒れ他界。シヅヱさんは「体が痛いのをずっと辛抱してたんです。私も体調が悪かったんで『心配をかけまい』とずっと黙ってて。そういう人でした」と光雄さんの最後の時を振り返る。 光雄さん死去後は閉店を考えた。1人でこの店を切り盛りする自信がなかったからだ。「掃除ひとつにしても店を続けていく自信がなかったんです。けど、お客さんが『掃除とかやったら俺らでやる』と言うてくれて、これまでやってこれました」