中村橋之助「ぼくは、持ってない役者なんだ……」公演中止で落ち込んでいた自分を変えてくれた坂東玉三郎からの言葉と直々の稽古
三代目中村橋之助(現:八代目中村芝翫)と、‘80年代にアイドルとして大活躍した三田寛子の長男として生を受け、5歳で初舞台を踏んだ4代目中村橋之助。29歳にしてすでに2度の大きな転機があったという若手歌舞伎俳優のTHE CHANGEとは――――【第2回/全3回】 ■【画像】中村橋之助「ぼくは、持ってない役者なんだ……」自らの転機をよく通る声で語るオリジナル動画 4歳で初舞台に上がったときから、一流の歌舞伎俳優になることだけを目指して、日々努力を重ねてきた四代目中村橋之助にとって、2020年は飛躍の年になるはずだった。 「以前からやりたかった作品や舞台がいくつも決まっていて、歌舞伎俳優として大きな一歩を踏み出せると、意欲に燃えていたんですが……3月に、すべてが白紙になってしまいました」 新型コロナウィルスの感染拡大である。 「お稽古中の舞台も中止になり、そのままステイホームに突入。家にこもって“ぼくは、持ってない役者なんだ……”と膝を抱えて落ち込んでいました。そんなとき、(坂東)玉三郎のおじさまが言ってくださったんです」 ――――かつてスペイン風邪が流行したときも演劇はなくなりませんでした。ですから、コロナ禍でも演劇がなくなることはありません。あなたが今やるべきことは、そうやって落ち込むことではなく、できなくなった役をもう一度いただけるように、お稽古をすることです。 「目が覚める思いでした。そうだ、舞台がなくなってもできることはたくさんある。せっかく時間ができたんだから、普段できなかったことをしっかりやろう、と前を向くことができたんです」
改めて役との向き合い方を学んだ
尊敬してやまない坂東玉三郎から直々に稽古を付けてもらい、役との向き合い方を改めて学んだ。ボイストレーニングの本を買い、ひとりで声の出し方を研究した。 「このときにコツコツ積み上げたことが、今、すごく活きていると感じます。2020年に中止になって悔しい思いをした役を2年後にやらせていただくことができたのも、2025年を初の座頭と、初主演映画でスタートできるのも、すべてあのときの努力が実を結んだのだと思っています」 コロナ禍は、俳優としての自分を見直す期間でもあり、兄弟の絆を深めた期間でもあったという。 「ぼくがまだ、果てしなく落ち込んでいたとき、弟の福之助が“にぃに、ゲームやろうよ”って言ってくれて、ぼくと弟、友だち2人と4人でオンラインゲームをやったんです。ぼくたち3兄弟はふだんからすごく仲がいいんですけど、おとなになると一緒に遊ぶなんて機会はそうそうないので、子ども時代に戻ったみたいで楽しかったですね」 仲がいい兄弟も、歌舞伎俳優としてはライバル。そして、中村芝翫は父親でもあり、尊敬する大先輩である。 「子どものころは、家でも楽屋でも普通の親子という距離感だったんですけど、中学生になったとき、母から“楽屋でお父さんに話すときは、お弟子さんもいらっしゃるのだから、きちんとしなさい”と言われたんです。最初は楽屋と家を使い分けていたんですが、思春期ということもあり、どこまで子どもの自分を出していいのかわからなくなってきて……」 しかも、歌舞伎の舞台に出るようになると、父と息子の時間より、先輩後輩でいる時間の方が長くなり、いつしか父は尊敬する先輩、追いつきたい目標となった。 「ぼくと父とでは、役者として持っている色が違うので単純に比較はできないと思いますが、父がぼくと同じ年齢の時にやっていたことを、いまのぼくができるだろうか……と考えたとき、“できます”と自信を持って答えることは、まだ難しい。少しでも近づけるよう、精進している真っ最中です」 中村橋之助(なかむら はしのすけ) 1995年12月26日、東京都生まれ。2000年9月、歌舞伎座で初代中村国生を名乗って初舞台を踏み、2016年10-11月歌舞伎『一谷嫩軍記』で4代目中村橋之助を襲名。2009年1月に国立劇場特別賞、2015年3月に国立劇場奨励賞を受賞。歌舞伎舞台のほか、『オイディプスREXXX』(2018年)『ポーの一族』(2021年)『サンソン-ルイ16世の首を刎ねた男-』などのミュージカルにも出演。『2019年に『ノーサイド・ゲーム』で襲名後初のテレビドラマ出演。2025年1月10日公開『シンペイ~歌こそすべて』で映画初出演にして初主演。 工藤菊香
工藤菊香