東名も中央も東北道も常磐道も首都高と繋がっているのに関越だけ未接続! 幻の「練馬線」はどうなった?
もともと関越道は高速道路ではなくバイパス道路だった
東名高速は首都高3号線と直結しており、中央道も首都高4号線と直結されている。そして、そのほかの東北道と常磐道、東関東道、京葉道路もそれぞれ首都高と直接つながっているため、我々は都心部からスムースかつスピーディに、放射状に延びている各高速道路へ接続できる。 【写真】全国的に見てもかなりレアケース! 首都高には信号が存在した だが、関越道(関越自動車道)だけは、なぜかいずれの首都高とも直結されていない。そのため、都心部から関越道へ行くには、「一度一般道に降りてトコトコと下道で練馬ICを目指す」か、あるいは「別料金を払って外環に乗り、かなり大まわりして練馬ICを目指す」という方法を取らざるを得ない。 いったいなぜ、関越道は首都高と接続されない作りになっているのか? そして今後、関越道と首都高が直結する日はやってくるのだろうか? まずは「なぜ、関越道は首都高と接続されない作りになっているのか?」という点から考えてみると、これには関越道の歴史的な背景が関係している。 現在でこそ東京都練馬区の練馬ICを起点に、埼玉県と群馬県を経由して新潟県長岡市の長岡JCTまで路線延長264kmを超える立派な高速道路となっている関越道だが、1971年に練馬~川越間で開通した当時は「東京川越道路」という名称の有料道路だった。つまり、川越街道(国道254号線)のバイパス道路に過ぎなかったのだ。 この東京川越道路の工事が始まったのが1967年で、その翌年1968年に関越道 川越~東松山間の施工命令が出る。そして、1971年に有料道路として開業した東京川越道路が1973年に高速自動車国道へと格上げされたうえで、1975年に開通した関越道 川越~東松山とドッキング。さらにその後、新潟県の長岡JCTまで延伸されたというのが、関越道の大まかな全容だ。 つまり、現在の練馬ICは、「基幹高速道路の起点/終点」として生まれたものではなく、当初は「単なるバイパスの起点/終点予定地」であったため、そもそも首都高速と直結させる計画自体がなかったのだ。都心部から上越方面への接続は、主には1968年に新大宮バイパスへの延伸が決まった首都高5号線と、新大宮バイパスが担うことになっていた。