【密着ルポ】能登半島地震から半年… 被災地に半年間通い続けたカメラマンが見た「復興への軌跡」
最大震度7の大地震が石川県・能登半島を襲った1月1日から、半年が経過した。 石川県内の各市町村が公開している最新の被害データによると、6月末時点での死者数は229人に上り、さらに52人が災害関連死に認定されている。近く18人が新たな災害関連死に認定される見通しで、これを踏まえると死者数の合計は299人に上ることになる。さらに全壊家屋は8053棟、半壊家屋は1万6746棟が確認されており、平成以降では1995年の阪神淡路大震災、’11年の東日本大震災に次ぐ3番目の被害規模だ。 【画像】すごい…いまだに瓦礫が散乱したままの能登半島の名所「輪島の朝市」最新の現地写真 4月には能登半島の生活の生命線であった「のと鉄道七尾線」が全面で運転を再開。さらに6月には県内最大規模を誇る金沢港への大型資材船の入港も始まった。これにより今までは陸路で運んでいたセメントの海上輸送が可能になり、復興への大きな一歩となった。 震災から半年が経ったなか、現在の復興状況はどうなっているのだろうか。実は、その最前線に立ち、現地の人々とともに復興にあたっているのが大勢の民間ボランティアだ。1月からの半年間で現地に入ったボランティアは10万人を超えており、インフラが整わず、資材も不十分な中で復興支援にあたっている。半年間にわたり、現地でボランティアにあたる人々に取材を続けてきたカメラマン・加藤直人氏が、その最前線を明かす。 ◆本誌カメラマンが見た「ボランティアたちの存在」 私が初めて能登半島の現地に入ったのは2月2日だった。震災当初は交通網が遮断され、自衛隊などの救援車両が優先されたために、なかなか現地に入ることができなかった。訪れた珠洲市は、輪島市と並び犠牲者・被害が甚大だった地域である。 私が主に密着したのは重機の操縦ノウハウも持ち合わせる技術系NPO団体『DRT-JAPAN』だ。彼らは震災翌日の1月2日より現地で支援活動を展開している。現地のまとめ役を務める黒澤司さんは、過去にもさまざまな被災地での支援実績があり、今回の地震でも他の民間ボランティアの現場の差配なども行うなど、リーダー的な立ち位置を任されていた。 最初に現地について驚いたことは、1ヵ月が経つというのに、全く変わっていない被災地の状況だ。道路上には家や車が残ったままで人手が足りていないことがよくわかる。液状化により下水管のマンホールが1m近く飛び出しているところもある。 その変わり果てた姿に、真っ先にこんな思いが浮かんだ。 「こんなインフラ状況では、復興はまず無理だ」 しかし、黒澤さんたちの表情に悲壮感はない。私が初めて訪れた当時の活動目的は「港にかかる橋を通行できるようにすること」だった。大型のゴミは重機を使って、それ以外のものは人の手を使って、地道に一歩一歩、桟橋を再び使えるように道路啓開(けいかい)していく。土木関係者をはじめ消防士やいろんな職業の人たちが集まっているが、作業は1日で終わらず、港橋が通れるようになるまで数日かかった。 滞在期間中、私も取材活動の傍ら、できる限り作業に参加した。疲れから記憶もおぼろげだった日もあったが、夕食に出された炊き出しのカレーが無性に美味かったことを、よく覚えている。 次に珠洲市を訪れたのは3月1日だった。雪が降りしきる中、倒壊した家屋の解体整理が行われていた。慣れた手つきで行われる作業を取材していると、『DRT』代表の黒澤さんから衝撃的な一言が飛び出した。 「せっかく通れるようにした港橋が、崩落の危険ありで使用禁止になった……」 なんともやるせない気持ちに襲われた。能登半島では2月末までに震度1以上の揺れを1700回以上、記録していた。あまりの無力さに、この時だけは黒澤さんの表情も暗く見えた。 それからも毎月、珠洲市での取材を続けた。5月に訪れた際は、異色のボランティアたちに密着した。 この日、海岸でゴミ拾いを行っていたのは全国の大学や高校生の有志からなるNPO法人国際ボランティア学生協会『IVUSA(イビューサ)』のメンバーたちだった。彼らは、平日は学校に通いながら、土日を利用して被災地支援に足を運んでいる。 海岸には、津波によって流れたゴミが打ち上げられ、今なお放置されている。そんな大量のゴミを、彼らは手作業でどんどん回収していく。昼食はカップラーメンだったが、嬉しそうに頬張る彼らを見ていると、自然と大人たちも元気が出てくる。 翌日は外国人たちによる炊き出しに訪れた。ブラジルやウガンダ、ウズベキスタン、コンゴ出身者など10人ほどが集まっている。彼らは「ボランティアのためのボランティア」として料理を作っていた。聞くと、彼らは留学や就労目的で来日したものの、在留資格を失い、入国管理局に収容され、現在は仮放免中なのだという。それでも日本のために何かしたいと、こうして支援活動に参加していた。 ゴールデンウィーク期間中ということもあり、全国から集まった多くのボランティアたちが、珍しいウガンダカレーやウズベキスタンの炊き込みご飯・プロフなどを「美味しい、美味しい」と堪能していた。 6月中旬に最後に訪れた際は、倒壊した家屋のカビの除去作業や消防隊に向けた救出技術訓練の様子に密着した。徐々にではあるが、地元自治体による「公費解体」も始まっている。しかし6月末時点で、仮設住宅は必要戸数のうちの7割程度しか完成しておらず、公費解体も9割近くが未着手となっているなど、終わりは見えない。 そんな中でも、こうして無償で支援を行い、汗を流すボランティアたちが大勢いる。年齢を超え、国を超え、復興を願う彼らの存在がある限り、能登半島が「かつての日常」を取り戻す日も、決して遠い未来の話ではない。 取材・PHOTO:加藤直人
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