フロッピーの奥底へと消えた二万八千字 今もワープロ使用、少数民族的な悲哀に直面 気まぐれに訪れる〝オソロシイ現象〟 椎名誠の街談巷語
【椎名誠の街談巷語】 モノカキとなって五十年。最初の頃は原稿用紙にペンで書いていた。サラサラのカリカリだ。サラサラというのは原稿用紙をめくる風の音。カリカリというのはペン先が原稿用紙にひっかかる音。初々しかったのだ。 このぺンと紙システムが優れていたのは、なんといっても原稿用紙がほぼ水平になっていればどこでも書けることだった。現にぼくはタクラマカン砂漠とかアマゾンでも書いていた。 でもいったん、自分の代わりに書いてくれるという安易な機械・機能を知ってしまうと人間は(特にぼくは)たちまち怠惰になっていく。 紙とペンを捨て「ワープロ」にすすんだ。 そのとき「パソコン」へ進む選択肢もあったが、ぼくが使っていたワープロのキーボードは、「親指シフト」という日本語が入力しやすい配列の簡易システムで、スピード重視のモノカキを魅了した。その頃、そういうモノカキはいっぱいいた筈だ。粗製濫造作家の当方としてはそれでまったく満足していた。 しかし、その後、時代は圧倒的にパソコン側のほうへ進み、ワープロ派は少数民族的な悲哀に直面することになる。 ワープロは電子システムではないからできあがった原稿をそのまま先方の出版社などに送ることができない。 でも送らねばならない。ではどうやるか、というとまずワープロに備わっている印刷機能を使って「印字」する。 その気があれば、そこで「印字」されたものを著者校正のようにして読み、校正なりをしたのちにFAXにかけて先方におくる。短いのが五、六件あったら深夜などタイヘンだ。 でもそういう機械システムはずっと甘美だった。 そして、ぼくはいまもワープロを使い続けていて、今週もこの原稿をワープロで書いているのだ。 さて、ここからは、いまも同じようにワープロを使っている少数派にとっては、きっと有意義なハナシになる。 ぼくの悩みは、書いたものが消えてしまう、というオソロシイ現象をこのテの機械はときどききまぐれにやることだ。たぶん当方の幼稚なミスからおきているのだろうが、おきてしまったときはどうしても機械のせいにする。なんとかしよう、と焦っていろいろやってみるのだが、たいていダメだ。 実は先週も、それが起きた。