900人超が犠牲に、「人民寺院」集団自殺事件とは何だったのか 米カルト教団が招いた惨劇
〈前編〉1978年に南米ガイアナで起こった、米国史上最多の犠牲者を出した「大虐殺」
1978年、南米の国ガイアナで、ジム・ジョーンズというたった1人の牧師のせいで、901人の米国人と8人のガイアナ人が死ぬという事件が起きた。「ジョーンズタウン」でのこの悲劇は、米国史上最大の犠牲者を出した事件の一つに数えられている。 ギャラリー:900人超が犠牲に、「人民寺院」事件の真相と無惨な現場 写真9点 死亡者と生存者は、同情されるどころか多くの批判を浴びせられ、ジョーンズの教会「人民寺院(ピープルズ・テンプル)」に所属したのは自己責任で、「頭がおかしい人」というレッテルを貼られた。しかし実際には、不満や混乱の時代のなか、ジョーンズタウンの指導者だったジム・ジョーンズは人々の心に響くようなメッセージを語り、多くの信者を獲得することに成功したのだった。 さらに彼の考え方は、他の公民権運動家によって正当化されていた。ガイアナでジョーンズは、平等で自給自足の社会というビジョンを実現するユートピアを提供した。 カリスマ性が非常に強かったジョーンズは、多くの米国人が聞きたがっていたことを語った。既存の政治とベトナム戦争に幻滅していた急進派の若者たちは、ジョーンズが推進する社会主義の原則に賛同した。 黒人も多く集まり、一時はジョーンズの教会の80~90%が黒人で占められていたほどだった。ジョーンズの活動の大部分は公民権運動に関連し、礼拝スタイルまで伝統的な黒人教会のそれを手本にしていた。ジョーンズ自身、黒人や韓国人の子どもを養子にしていることをアピールし、自らも黒人であると主張した。 大虐殺に至るまでの数カ月、数年間をたどってみると、ジョーンズタウンに加わった人々の頭がおかしかったわけでも、熱狂的なカルト信者だったわけでもないことは明らかだ。むしろこの人々は、より公正でより良い世界を作ろうと願っていたのであり、ジョーンズタウンはその理想を実現する場を提供していたにすぎない。 それがなぜ悲劇的な結末を迎えてしまったのだろうか。人民寺院の事件とはいったい何だったのか。