<南くんが恋人!?>ドラマGPが飯沼愛&八木勇征を絶賛「2人が演じるからこそ、ちよみと南くんの“儚さ”が余計に強くなっている」
飯沼愛主演、八木勇征らが出演するドラマ「南くんが恋人!?」(毎週火曜夜9:00-9:54、テレビ朝日系)が、いよいよ9月10日(火)に最終回を迎える。内田春菊の人気漫画「南くんの恋人」を原案とする本作は、テレビ朝日でも1994年に高橋由美子&武田真治、2004年に深田恭子&二宮和也のコンビでドラマ化されてきたが、今回は主人公・ちよみ(飯沼)ではなく、“南くん”こと南浩之(八木)が15センチの手のひらサイズになってしまう“男女逆転バージョン”として描かれ、大きな話題を集めてきた。 【写真】30年前の作品を知る世代からも大きな反響を集めた、八木勇征“南くん”のマグカップ風呂シーン 今回WEBザテレビジョンでは、番組を手掛ける服部宣之ゼネラルプロデューサーにインタビューを敢行。これまで度々映像化されてきた本作を“リブート”させた理由や、本作を形作る中で脚本・岡田惠和氏と交わしたやり取りや「岡田惠和脚本」の魅力、そしてちよみと南くんを演じた飯沼愛&八木勇征の現場での様子など、さまざまなことについて語ってもらった。 ■“男女逆転バージョン”のきっかけは「その構図だから描けること」への期待感 ――改めてになりますが、今回往年の名作を「南くんが恋人!?」という形でリブート、復活させたのはどういった思いからだったのでしょうか? このドラマの脚本を作られている岡田惠和さんとは、結構恒常的にいろんな企画のやり取りしてるんですが、ちょうど2~3年前くらいに「今『南くんの恋人』をやったら」みたいなタラレバの話をしていて。その時に、「今だったらやっぱり“男女逆転バージョン”だよね」となったんです。 なぜかと言うと、昔はやっぱり「男の子が女の子を守る」っていう構図がある種普遍的な価値観で、「小さくなる」っていうのはそのメタファー(暗喩)なんじゃないかという。だとしたら、今の時代にその形で行くよりは、むしろ「女の子が小さくなった男の子を守る」という構図の方が、何かテーマ性というか、伝えられるメッセージとしては大きいんじゃないかという話になったんです。 「じゃあちょっとそういった企画を考えてみますか」と言って、そこで一旦話が止まっていたのですが、今回火曜夜9時の枠で新しい企画をと考えた時にちょうどその話を思い出して。それで岡田さんに相談して、飯沼愛さん主演で企画を進めていきました。飯沼さんのひたむきな姿が、ちよみの健気な姿に重なって、すごく良かったです。 ――今回のドラマ化にあたって、原作者である内田春菊さんにもお話をされているかと思いますが、お伝えされた時の反応はいかがでしたか。 いざこのドラマをやろうって決めた時、すぐ内田さんのところにお会いしに行ってご説明したら、内田さんも喜んでくださって。大乗り気というかすごく好意的に受け止めてくださったんです。というのも、実際内田さんも「南くんは恋人」という男女を入れ替えたバージョンを短編で描いていらっしゃって。 ただ、今回はそれを原作とするのではなく、「南くんの恋人」が持っている世界観とか、「南くんは恋人」が持っているストーリーの面白さとか、そういったものすべてを「原案」という形でお預かりさせていただいて、設定も含めて岡田惠和さんとゼロから作っていきたいとお話ししたら、そこも含めてすごく乗ってくださったので、今回の形に至りました。 ■男女を逆転させることで変化した「愛の形」 ――本作でのちよみは、初めは “地元のスター”である南くんの恋人として自分が不釣り合いなように感じ、常に「守られる側」の存在に甘んじていた状況から、南くんを「守る側」となることで意識が変化していきますが、男女の立場を逆にしたことによって新たに盛り込んだところや変えたところ、強く意識した部分はどういったところでしょうか。 まさしく今おっしゃったことが、今回のドラマにおける大きなポイントの一つです。いわゆる自己肯定感が低くて、どちらかというと彼氏の裏に隠れていた女の子が、立場が変わったことによって逆に自分自身抑えていたものを開放したり、そこから芽生えていく責任感だったり、またより強くなっていく自分に気づいたり、そういった姿をまず描いていきたいなと思っていました。 男女を逆転させることによって、今まで過去4回映像化されてきた時とは「愛の描き方」がちょっと違うんだろうなという気はしていて。これまでの「南くんの恋人」は、やっぱり思春期の男女ですし、もう少し自分たちが持ってる「欲」というものにまっすぐなんだろうなという気がしていたんです。 男性が大きくて女性が小さい(という状況)って、やっぱり男性の方がちょっと悶々とするというか、そこの部分で大きいんじゃないのかなって。その点で女性の方が大きいとなると、そういう「欲」の部分よりも「この小さい生き物を守らないといけない」とか、そういう責任感が強く出るのかなということは、岡田さんとも話していました。 そこにいろいろな愛の形を足していくことが、今回の新たな挑戦でもありました。ちよみや南くんから見た家族や周りの人々に対する愛だったり、家族から見たちよみに対する愛だったり、南くんに対する愛だったり、そういうさまざまな「愛の形」を詰め込んでいます。 ■「普通の家庭に“手のひらサイズ”の人を置いちゃうと、その『うそっぽさ』の方が目立つんじゃないか」 ――今のお話にもありましたが、ちよみが育った堀切家の、他人から見るとやや複雑な家庭環境や、商店街の人たちとの温かな「共同体」感も岡田さんならではという印象がありました。それらの設定はどのように決まったのでしょうか? 私から岡田さんには「やっぱり家族の話にしたいですよね」と話していたくらいで、家族の設定については本当にゼロから岡田さんが考えてきたアイデアなんです。「これだけ複雑なんだけど、どう?」っていう話があって。ただ、普通ならああいう人間関係のドラマの中に、ともするとそこの人間関係の危うさとか、ちょっとドロドロした感じを描きたくなると思うんです。 でも、岡田さんがすごいのは、本当に人の良い部分に光を当てていく方なので、あんなに複雑な環境なのに誰も(性格が)ねじ曲がっていないんですよね。みんなが真っすぐに誰かのことを愛して守っているということが、ああいう家族構成の方がより面白く見えるなという気がして、そこがすごくいいなと思いました。 今この時代に「手のひらサイズの恋人を守る」ということ自体がすごく大変じゃないですか。ちよみがちょっとコソコソしていることにしても、本来ならみんな気付いているしバレていると思うんですけど、逆にああいう家族だからこそ、そこを見過ごせる温かさと優しさがあるというか。それが絶妙だなと思いました。普通の家庭に手のひらサイズの人を置いちゃうと、その「うそっぽさ」の方が目立つんじゃないかなって気はしました。 ――私は子供の頃に高橋由美子さんと武田真治さんによる「南くんの恋人」をリアルタイムで見ていた世代なので、「マグカップ風呂」や武田さんが会見で語っていた「どんぶらこっこ」といったおなじみのシーンには非常に懐かしさを感じました。今回のリブートに際して、逆に「変えてはいけない」と思ったところを教えてください。 もちろん内田さんが描かれた大元の発想となっている、「人が小さくなること」の面白さや儚さのようなものは絶対に変えてはいけないと思っていました。あと、原作の漫画は「ガロ」(※独自の作家性を持つ漫画家を数多く輩出した伝説の漫画雑誌「月刊漫画ガロ」)で連載されていたこともあって、ちょっとエッチだったりするんですよね。だからこそ思春期独特の空気感があると思うんですが、そこの“匂い”は変えてはいけないというか、岡田さんとも「残したいよね」という話はしていました。 男女の性差はあれ、やっぱり思春期の人が抱える悩みとか喜びとかは当然あると思うので。いくら時代が昭和から平成、令和になっても、その世代特有の悩みというものは根本的には変わらないと思いますし、そういった部分は今回のドラマもちゃんと描いていきたいよねと。(今の時代は)それが「自己肯定感」だったり、「学園の中での立ち位置」だったり、きっといろんなことがあると思うんですが、そういったことを描きたいっていう話はしていました。 ■「南くんが先に“運命”を知ることで、ちよみと南くんの関係性が変化するところも見せたかった」 ――さまざまなトラブルはありつつもどこか牧歌的だったちよみと南くんの日々が、5話の国仲涼子さん演じる早苗との出会いを境に一気にシリアスなものになっていきました。ファンタジー要素の強い物語でありながら、容赦のない展開が待ち受けているところも「これぞ岡田惠和脚本だな」という印象がありましたが、今回の展開について岡田さんとはどんなお話をされましたか。 ちよみの方は先ほどお話ししていたように、「15センチの南くんを守る」ということで成長の過程がすごく描かれていくんですが、南くんというあれだけ完璧に見えるスーパースターが、実は15センチになった瞬間に、嫌な面というかすごく人間らしい面が出てくるんです。 それはそうですよね。それまではスーパースターとして存在していたのに、15センチになった瞬間に何も自分一人じゃ思い通りにできないんですから。当然わがままにもなるだろうし、ダメな部分も見えてくるだろうし。 だけど、「そんな15センチになっちゃった南くんが、自分の“運命”を知った時に考えることって何なんだろう」とか、「ちよみに何を伝えたい、残したいって思うんだろう」とか、そういったことをちゃんと描くべきだよねという話は、今回特に岡田さんとしていて。だから5話でもう一人手のひらサイズの女性(早苗)が出てきて、「なぜ南くんは15センチになってしまったのか」を南くんだけが先に知るという展開を描きました。 南くんが知ってしまったことで、またそこでちよみと南くんの関係性が変わってくるじゃないですか。そこも含めて(変化を)ちゃんと見せたいというのが、これまでの「南くんの恋人」との大きな違いかもしれないですね。これまでの作品では、小さくなった側の変化ってそんなに描いてこなかったと思うので。 ■単なる“メタぜりふ”にとどまらない、武田真治の名シーンが持つ意味 ――5話で信太郎が15センチの南くんを見てしまった時の、「でも…なんだろう…なんかそんなには驚いてないかも俺…なんでだ?」というせりふには笑ってしまいました。これはやはり、かつて武田真治さんが南くんとしてちよみに接したことを踏まえてのせりふかと思いますが、このせりふについては岡田惠和さんと何か会話はされていましたか? そこだけは私の方から「入れてほしい」と言った覚えがあります(笑)。「誰が最初に15センチの南くんを見たら面白いか」って、いろんな選択肢があるじゃないですか。(“大先生”こと百合子役の)加賀まりこさんが見るってパターンもあれば、(ちよみの母・楓役の)木村佳乃さんが見るっていうパターンもあるし、もっと言うと(久子役の)室井滋さんは3話でポケットに入った南くんを目撃していますし。 その中で、「やっぱり(信太郎役の)武田真治さんが見た方がいい」と岡田さんがおっしゃったので、だったら (南くんの姿を)見て驚いていいんだけど、そこで何か一言だけ入れてほしいなと思ったんです。(信太郎の中に)「どこかで驚かない自分」がいてほしいなと。 と言うのも、実はこれって結構難しいシーンなんです。手のひらサイズの人を見た、でも黙ってなきゃいけない、しかもそれがうそか誠か分からない中でなぜ黙っているかと言ったら、何となく「娘を信じよう」っていう気持ちだけで黙っているって、正直なところドラマツルギー的にいろいろ無理があるんです (笑)。 「なんで本当のこと話しかけないんだよ」とか、ツッコまれたらキリがないポイントなんですが、その一言を武田真治が言うことによって許せちゃうというか。30年前に同じ状況を受け入れていた人なんですから、今回だって受け入れるでしょうという(笑)。ある種のメタファーというか、フィクションとノンフィクションとの混ざり合いというか。 ――レギュラーキャストの武田さんに加え、3話では高田純次さんもゲスト出演されましたが、30年前の「南くんの恋人」のキャスト陣を起用された狙いはどのようなものだったのでしょうか。 実は私自身も30年前に「南くんの恋人」を見ていた世代ですので、あの当時から岡田さんの生み出す世界も大好きでしたし、岡田さんは岡田さんで30年ぶりに自分で「南くん」を書くという時に、やっぱりあの時出ていたキャストの皆さんに対する思い、リスペクトはすごくあると思っていて。そういう思いをうまく伝えていきたいということから、ご協力いただける方には出ていただきたいと思っていました。 ■「この夏一番親子で見ていて楽しめるドラマに仕上がっているなと思っています」 ――初回からTVerでかなりの再生回数を記録するなど多くの視聴者から反響が来ていたと思いますが、そうした反響の声についてはどのように感じていますか? 30年前にあれだけ愛された「南くんの恋人」の世界というのが、今こうして形を変えても皆さんの心に届くだけの強さがあるんだなと改めて思いました。それと、令和版はより「親子で楽しめるドラマ」に仕上がった感じがしております。 15センチになった南くんの世界って、子供は無条件で好きなんじゃないかと思います。物が大きく見えたり、逆に小さくなったりするっていうのは、やっぱり僕も子供の頃にすごくワクワクしましたし、それがリアルに展開されている(ことでお子さんにも楽しんでもらえている)。 加えて、先ほどお話したようにいろんな「愛」が描かれているので、本当に辛くて大変な状況になりながらも、岡田さんが人の良いところにちゃんと光を当てて、ドラマとして感じさせてくれている気がします。 そういう意味でも、この夏一番親子で見ていて楽しめるドラマに仕上がっているなと思っています。1~2話あたりで本当に大きな反響をいただいたんですが、それ以上にもっともっと親子で見ていただけるドラマとして話題になってもらえたらありがたいなと思っています。 ――特に本作は、我々のような30年前に「南くんの恋人」を見ていた世代が、親の視点からちよみと南くんの物語を見られる形にもなっているように思いました。 おっしゃる通りです。僕らが30年前に見ていたあの時の感じがありつつ、当然僕らも年を取って子供ができて…となった時に、その子供を見て「これはね」って言えるような題材になっているかなという気もしますし、親子の会話の種にもなるし、共通の見方というのもあるでしょうし。その辺りを狙っていけるといいなというのは密かに思っています。 ■「飯沼さんは(芝居における)度胸の良さをすごく感じます」 ――物語のメインキャストお二人についてもお話を聞かせていただければと思います。まずは、ちよみを演じられている飯沼愛さんの現場での様子や、撮影をご覧になって感じたことを教えてください。 飯沼さんのお芝居にかけるひたむきな姿、お芝居に関することや、現場での立ち居振る舞いなどをしっかりメモされているその真摯な姿勢に、スタッフ一同、本当に感心しています。あと、飯沼さんの顔が日に日に「座長の顔」になっていくんです。日々現場を引っ張っていく中でどんどん顔が凛々しくなられていって。 ちよみが15センチの南くんと過ごす中でたくましくなっていくように、飯沼さんは座長として「南くんが恋人!?」を引っ張っていくうちに、やっぱり知らず知らず「真ん中に立つ人」の顔になってくるんですよね。 そこには当然陰ながらの努力というか、僕らが知らないところでの努力もたくさんあると思いますし、お芝居についてもきっといろんな試行錯誤、悩みを繰り返しながら今カメラの前に立ってると思うんですが、その責任感も含めてちゃんと表情に現れていて、「すごいな…」と感じています。 ――会見の時も、加賀まりこさんが飯沼さんの演技や振る舞いを大絶賛されていたので、特に堀切家での家族のシーンなどは雰囲気が良いんだろうなと、キャストの皆さんのお話しぶりから感じていました。 飯沼さんは芝居の度胸が良いんですよね。もちろん「度胸が良い」というのは、ただ精神的に(臆せず行ける)ということではなくて。先ほどもお話ししたように、きっと(ちよみとしての芝居を)裏付けするだけの努力を一人でしているんだと思うんですが、いざ芝居で加賀さんとか木村さんとかと向き合った時に、ポンってせりふを言い放てる強さや、「あ、ここでそのリアクションするんだ」っていう度胸の良さをすごく感じます。 ■「八木くんは画面から伝わってくる熱量がちょっと違うなって思います」 ――一方、南くんを演じている八木勇征さんには、視聴者の皆さんからものすごい反響が寄せられているかと思いますが、現場での八木さんの様子はいかがでしょうか。 なんと言っても“国宝級イケメン”ですからね。僕は男性ですけど、SNS等の反応と同じように、見ているだけでも「美しいな」と思いますよ (笑)。よく「美しいものは人を引き付ける」と言いますし、その美しい存在が手のひらサイズになっちゃった時にどうなるんだろうとか、どう感じるんだろうとか、八木くんが演じるからこそ15センチの南くんに対する「儚さ」が余計に強くなっているんだろうなという気はしています。 八木くんって、それこそ歌も歌えるし、芝居もしているし、まさに今スターになろうとしている時期にある人なので、画面から伝わってくる熱量がちょっと違うなって思います。15センチになっても思わず彼に目が行ってしまう、それをその人の“オーラ”というかもしれませんが、そういうものが今の彼にはあるなと、現場で見ていてすごく感じます。気付くと彼を目で追っちゃうのは、今この瞬間の彼だからこそなのかなと思います。 ――八木さんは今回ほとんどグリーンバックでの撮影となるため、演じる上でも非常に大変だったのではと思いますが、その辺りは現場でご覧になっていかがでしたか。 最初の頃はやっぱり孤独との戦いだった気がするんですが、どんどん慣れてきて、彼は彼でその一人の世界を楽しんでいる印象です。ちょうど(一人での芝居に)飽きてくるかなというタイミングで、5話の(早苗役の)国仲涼子さんが出てきて。八木くんはあの時初めてグリーンバックの前で他のキャストとお芝居をしたので、二人でお芝居をしたことでまた新鮮な気持ちがあったみたいです。 その後は、(南くんが)自分の余命というものを知ったことで、急に自分の心情が変化するじゃないですか。それを抱えながらちよみに悟られないようにどうしていくか、何を残していくかという方向に(気持ちが)変わっていくので、一人でやれることで逆にそういった思いをより強く(せりふとして)言っているんじゃないのかなという感じは、最近の八木くんを見ていて思いますし、それが芝居において良い方向に出ているかなと思っています。 ■“リアリティー”と“情報量”の間で試行錯誤を繰り返した「15センチの世界」 ――グリーンバックでの撮影は、キャストだけでなく製作上の苦労も多かったと思いますが、今回一番苦労した点はどういったところになりますか? 純粋に、撮影日数がほぼ倍かかってしまうんですよね。なぜかというと、まずはちよみの方のお芝居を全部撮影して、その後今度は南くんの方を撮っていくので、当然どちらも同じ日には撮れないんです。そうすると、南くんは南くんだけで撮る日が別にあるんですが、その時はちよみのカットバックの相手側を撮っているようなものなので、結果的に普段より撮影日数や時間が倍かかるというのがすごく大変だなって思いました。 それから、昔と違って今は当然画質とか一枚の画から伝わってくる情報量が過去の作品――4作目はわりと近い年代だったんですが、それ以前の3作とはやはり大きく違いがあって。「どれくらいの画の作り方で南くんとちよみを見せるのいいんだろう」というのは、いまだに試行錯誤しています。 わかりやすく言うと、リモート会議で背景をバーチャルな映像にされることがあると思いますが、実は南くんのシーンの撮影はこういう撮り方に近いんです。実際に撮影した背景に南くんをはめていくんですが、ドラマにおいて南くんにピントが合ってる場合、背景って本当はボケるものなんです。でも、リモート会議の画面では相手にピントが合っていても背景も何となくピントは合っているという。僕らはその画を作っていかなきゃいけなくて。 最初はリアリティー重視で、「南くんがこのサイズだったら後ろの背景のぼけ方ってこうなんじゃないか」といろいろ試行錯誤をしたんですが、リアリティーを追求すればするほど、逆に(リモート会議で背景をぼかした時のように)後ろがぼけて見えなくなってしまって。1枚の画の情報量としてはあまり正しくないというか、美しくないんじゃないか。そんなことを日々探っていました。 ――ドラマをご覧になっている視聴者の皆さんはあまり意識をされていない部分かもしれませんが、背景の濃淡や見せ方というのは、ドラマの「画作り」において非常に重要なお話ですね。 そうなんです。変な話、人間の目で見てる時って、どこにでもピントが合っているじゃないですか。だけど、いざテレビになるとカメラを通してその世界を見ているので、レンズのピントが合う範囲はどうしても限られてしまうんです。 背景がぼけているとなかなか、南くんとの対比、サイズの違いがうまく表現できなかったりするので、その辺りがポイントかなと、やりながら、カメラマンと一緒にアイデアを貰いながら、探っていった感じですね。 ■「ちょっとだけ背中を押してあげられるような、前向きな終わり方ができたら」 ――個人的には、第7話で南くんが父親と和解する場面や、堀切家の面々にちよみが「秘密」を打ち明ける様子など、数々のシーンにグッと来てしまいましたが、服部さんの中で特にグッと来たシーンを教えてください。 まさしく7話の南くんがお父さんとお酒を酌み交わすシーンもそうですし、その後のちよみと楓のシーンにもグッと来ました。南くんが15センチになってからずっと一緒にいたちよみが、南くんを実家に置いてきたことでこの何週間で初めて一人になって、寂しさなどを抱えながら家に帰った時に、楓がそんなちよみを見て「あなたのことを全面的な支持する」と声をかけるんです。 そのシーンは先日撮影していたんですが、現場で見ていても泣けましたね。岡田さんの脚本も巧いんですよ。それまで楓はちよみのことをずっと「ちよみ」と名前で呼んでいたんですが、あそこのシーンだけは「あなた」という言い方に変えているんです。それは冷たい感じではなく、ちよみという一人の人間を認めてるからこそ、「あなたのことを支持するし、あなたの考えを全面的に応援にする」なんですよね。 誰が何と言おうと自分の娘だからということもあるけど、あなたが尊敬できる人間だからということ楓が言うんですけど、そこのせりふのチョイスは「さすが岡田惠和だな」と思いました。それをちゃんと言い分けた楓役の木村佳乃さんも良かったし、それを受けた飯沼さんの表情も素晴らしかったし、本当に素敵なシーンだなと思いました。 ――これまで何度も映像化されてきた「南くんの恋人」だけあって、「結末」をどのように描くのかにも注目が集まっていると思います。最後に、「南くんが恋人!?」の結末について、何かヒントとなることがありましたら教えてください。 今回岡田さんとやる前に一つだけ決めていたのは、「この物語はひと夏の話にしよう」ということで。夏の終わりって、何十年生きてきても寂しくて悲しくて何とも言えない思いに必ずなるじゃないですか。でも、また秋がやってきて冬がやってきて季節は巡っていくわけで。そういう日常が続いていくという。 それは別にドラマの世界だけじゃなくて、僕らだって視聴者の皆さんだって生きていればいろんな悲しいことや辛いこともいっぱいあると思うんです。季節が巡ればまた新しい日々が始まっていくし、僕らはその日常の中で前を向いて歩いていくわけですし。 そんな(辛い思いを抱えた)人たちに向けて、このドラマと岡田さんの脚本を通して、ちょっとだけ背中を押してあげたいなと。岡田惠和の脚本ってそういうものだと思っているので。ラストはそっと視聴者の方の背中を押してあげられるような、少しだけ前向きな終わり方ができたらいいなと思っています。