「マッドマックス」ジョージ・ミラー監督が語る「映像のロックンロール」の極意「映画作りがビジュアルによるセッション」
『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(15)で、第88回アカデミー賞最多となる6部門を制覇したジョージ・ミラー監督の最新作『マッドマックス:フュリオサ』が公開中だ。本作は『怒りのデス・ロード』で独裁者イモータン・ジョーの5人の妻たちを解放するため死闘を繰り広げたフュリオサの“原点”の物語。バイカー軍団に連れ去られ、故郷や家族、すべてを奪われた孤独な少女が過酷な日々を戦い抜き、復讐を遂げる姿がハードなアクションを交えて描かれる。本作公開を前にジョージ・ミラー監督のインタビューを実施。「マッドマックス」シリーズの生みの親に作品に込めた想いを訊いた。 【写真を見る】それぞれのキャラクターを象徴するような車やバイクが続々登場! ■「アニャとクリスの化学反応がすばらしい結果をもたらせてくれた」 イモータン・ジョーから絶大な信頼を置かれながら反旗を翻したフュリオサ。反骨精神あふれるキャラクターは、どのようにして生みだされたのだろうか。「まず第1作の時から、1本まるまる追走劇が続いていく作品を撮りたいという想いがありました。映像テクノロジーの進化によって前作で実現できたのですが、追走劇の動機をどうするべきか考えて、モノではなく人間そのものの奪い合いをさせることにしたんです。歴史をひも解くと、女性たちは権力者のもとで正妻のほかにも寵愛のための側室という立場を強いられてきました」。そこからインスピレーションを得たのが、 “子産み女”として囚われたイモータンの5人の妻たちだった。「次に彼女たちを解放するため、立ち上がる存在が必要です。それを担うのは男性より女性のほうがふさわしいのではないかと考えて、フュリオサが誕生しました」と明かしてくれた。 本作の骨子は、殺された母の無念を晴らそうとするフュリオサの過酷な旅路。復讐というテーマは第1作『マッドマックス』(79)への原点回帰なのだろうか。「自覚はしていませんでしたが、言われてみると確かにそのとおりですね。今回は15年という長い時間にわたる物語なので、ギリシア神話の英雄オデュッセウスの活躍や復讐を描いた古代ギリシアで書かれた『オデュッセイア』のような叙事詩でもあるのです」とミラー監督。帝政ローマへの復讐を誓った青年を描いた超大作『ベン・ハー』(59)に似ていると指摘されたこともあるという。「このクラシック映画も青年が長い年月を経て復讐を果たす姿を描いていますし、馬が引く戦車のレースシーンはアクション映画史におけるターニングポイントにもなりました。確かに共通点があるんです」。 そんな本作で主人公フュリオサを演じたのが、次世代を担う存在として注目を浴びるアニャ・テイラー=ジョイ。そしてアクション大作からシリアスドラマまで、幅広く活躍しているクリス・ヘムズワースが宿敵ディメンタスを演じている。15年にわたる物語は、彼らの確執の物語でもある。ミラー監督は2人について「この映画にたくさんの感情をもたらしてくれた」と絶賛する。「彼らは直感と論理的アプローチでキャラクターを作り上げてくれました。長い年月のなかでフュリオサとディメンタスは何度も出会うことになりますが、会う度に互いの力関係が変化していきます。最初はレベルがまったく違っていましたが、次第に近づき、最後には同じになっていく。2人はそんな関係性を見事に演じてくれました」。それはミラー監督の演出というよりも、演じた彼らの役作りの成果だという。「キャラクターたちの有機的な反応は、監督が操ることで引きだせるものではありません。俳優たちの本能とキャリアの中で培った経験が形作っていくものです。アニャとクリスの化学反応がすばらしい結果をもたらせてくれたのです」と目を細めた。 ■「ビークルたちは、基本的に衣装やメイク、武器と同じく、キャラクターと連動している」 「マッドマックス」シリーズの代名詞と言えるのが、カーアクションだ。本作でも多彩なスーパーマシンが過激なバトルを繰り広げる。激しくもドラマチックなカーアクションを描く秘訣について、ミラー監督は「すべての車をキャラクターの延長として描くこと」だと語る。「ビークルたちは、基本的に衣装やメイク、武器と同じく、機能や目的はすべてキャラクターと連動しています。例えば『怒りのデス・ロード』の冒頭でインターセプターが壊されたのは、マックスが力をそがれた状態になることを示唆したのです。本作でフュリオサがウォー・タンクに潜んでいた時にけん引するトレーラーは1台だけでしたが、運転手であるジャックとコンビを組んで以降は2台に増やしました。また彼女がディメンタスと決着をつける時、イモータンの息子のクランキー・ブラックという車を盗んで追いかけます。これはアグレッシブでパワフルだけが取り柄の車で、怒りに燃えたフュリオサの心を表しているのです」と解説。ディメンタスのバイクも同様だ。「ディメンタスの乗るバイクが大きなチャリオットに変化したのは、皇帝のような絶対的存在への憧れを示しています。ですから仲間を率いてガス.タウンという拠点を手に入れたあと、彼は運転をせずモンスタートラックの荷台に乗っているのです」。 15年にわたって繰り広げられる本作も、アクション満載のハイテンションな映画に仕上げたミラー監督。「マッドマックス」シリーズを「映像のロックンロール」と呼ぶ監督が常に心掛けているのは、必要とされる要素を見極めることだという。「映画全体はもちろんですが、シーンによっても求められる要素は違います。例えばフレーミングやカメラワークといった撮り方や音楽・効果音の使い方、役者たちの演技もそう。それを見極めたうえで、キャラクターありきのドラマを作っていくことが大切です」というミラー監督は、映画作りを音楽のセッションに例える。「いろんな楽器を持ち寄って行う演奏と同じで、様々な映画作りのツールを動員するのです。私は映画作りがビジュアルによるセッションだと思っています。すべての作業がドラマの構造やキャラクターの行動に基づいて設計され、それに沿って一つ一つのカットを積み上げていく。同じシーンのなかでも必要に応じて1秒に満たないカットがあれば2分半とわりと長めのカットが混在しているのです。カットごとになにがいちばん正しいのか、その映画に見合うのはなにかを考える。そうやって私は映画を作り続けているのです」。 インタビュー中は笑顔を絶やさず、穏やかな口調で質問に答えてくれたミラー監督。しかし話題が盛り上がりはじめると、ノンストップで話し続ける熱い姿に「マッドマックス」の淵源が見て取れた。79歳を迎えたミラー監督だが、エネルギーあふれる若々しさは『マッドマックス:フュリオサ』にそのまま体現さている。マックスではなくフュリオサを主人公にするという新機軸を打ち出した本作を観て、今後のサーガへの期待がさらに高まった。 取材・文/神武団四郎