「オンナ寅さん北京をゆく!? 新境地の魅力」綿矢りさ×藤井省三『パッキパキ北京』対談
女性版フーテンの寅さんを書く
藤井 先ほど綿矢さんの作品は『蹴りたい背中』で止まっていたと言いましたが、今回の対談のためにいくつか拝読いたしました。『オーラの発表会』、『意識のリボン』、『嫌いなら呼ぶなよ』、それから『生(き)のみ生(き)のままで』。それは豊かな綿矢さんの作品群のほんの一部にすぎませんが、やはり『蹴りたい背中』と繫がっているような気がしました。主人公は常にクラスや職場、あるいは家庭に所属してはいるものの、その所属している状態にどこか辛さを感じている。『オーラの発表会』の海松子(みるこ)は生き辛さではないものの、独特の緊張感を抱えていますよね。 そういう意味では帰属意識というのが綿矢さんのこれまでの一つのテーマだったと言ってもいいのではないか。ですが、今回のヒロイン菖蒲さんはそれとは全く逆で、何かに帰属しているという意識が希薄な人物です。もともと銀座のクラブでホステスとして働き、それなりに活躍していたのですが、今ではその職場とは縁が切れており、繫がっているのは仲の良い後輩が一人だけ。一緒に「女子会」をする仲間もいるみたいですが、決してその関係性に依存しているわけでもない。かなり年上のバツイチの夫との間柄も親密なものではなく、贅沢させてくれるから一緒にいるだけ。子どもが欲しいと言われると拒絶反応を示す。どこかに所属している感覚が菖蒲さんにはほとんどないんじゃないかなって思います。彼女は綿矢文学における新しいヒロイン像と考えてもよろしいでしょうか? それとも私が見逃しているだけで、彼女のような人物は既に登場しているのでしょうか? 綿矢 ここまで根無し草な人物を書いたのは初めてです。私、フーテンの寅さんが好きなんですが、寅次郎の女性版みたいな人を書いてみたいと思っていたんです。家族や結婚にとらわれずにずっと旅をしているような女性を。それで今回、どこにも属していない、それでいて孤独が平気なタイプの女性を主人公にしました。寅さんみたいに人情あふれる優しさは、菖蒲には無さそうですが(笑)。 藤井 腹巻きの似合う寅さんに対して、ミニスカの似合う菖蒲さんというわけですね。 綿矢 はい、そうですね。この社会で女の人が寅さんになるのはやっぱり難しいんです。面白がられるより先に「どこかムリしてるんじゃない?」っていう詮索の目の方が、先に来ちゃう感じがする。でも、そろそろそういう人が現れてもいいかな、と思いました。みんなにダメだあいつは、と言われながらも、どこか羨ましがられたりもする、そんな自由な女性が出てきてもいい頃なんじゃないかなと考えたりもしました。 藤井 菖蒲さんはとても魅力的な女性ですね。私は銀座のクラブとは全くご縁がありませんが、こういう人は職場の人気者になるだろうと思います。そんな彼女が北京を自由自在に闊歩する。中国は少し前まで政治的にもアメリカと覇権を争い、経済的にもすぐにアメリカに追いつくのではないかと言われていました。北京は新しい覇権大国の首都として繁栄していたわけです。ですが、コロナで三年間封鎖され、その動きは止まってしまった。菖蒲さんがやってきて観察しているのは、そんな停滞していた北京なんです。 菖蒲さんの鋭い観察眼がこの作品の魅力の一つですね。「車内で中国の人を見てると、同じアジア人だから日本人と似てるけど、よくよく観察するとやっぱり細部は違うから、元から全然違うよりも間違い探しみたいで面白い」なんて菖蒲さんは言ってます。ヘアスタイル一つとっても、中国人の場合、男女で違いが明確にあるから、そこに性差がはっきりと現れる。中立的なヘアスタイルの多い日本とはそこが違うんだとも言う。逆に外見的な性差はそこくらいにしか現れなくて、冬の着ぶくれファッションは男女ともに同じだとも語っています。私も読みながら、そうそう、そうだよね、なんて頷いておりました。こうした北京の歩き方、感じ方には綿矢さんご自身の経験が投影されているのですか? 綿矢 そうだったら良かったんですが……。本当は私も菖蒲みたいに自由に北京で振る舞いたかったのですが、自分はどちらかというと菖蒲の夫側の気持ちで暮らしていました。つまり、自分が日本人としてどう思われるかをすぐに気にしてしまったり、中国語が通じないのが恥ずかしいからどこかに行くのをやめてしまったり。そんな風にずっと緊張しながら北京をうろうろしていたんです。だからこそ、自由に言語の壁を越えて北京という都市を楽しめる人物を描けたらいいなと思ってこの作品を書きました。