「フェラーリのセナを撮りたかった」 アイルトン・セナ没後30年…F1カメラマン・金子博が見た運命の5月1日・イモラの悲劇【写真ギャラリー】
1994年5月1日、F1サンマリノGP決勝レース中のクラッシュ事故で、不世出のF1ドライバー、アイルトン・セナが命を落とした(享年34)。 【画像】「フェラーリのセナを撮りたかった」F1カメラマン・金子博氏の本心は… 没後30年を迎えた今、F1フォトグラファー・金子博氏が、珠玉の写真と共に往年のセナを振り返る。 連載第3回の今回は、キャリア後期のセナの活躍、そして”運命の1日”に迫るほか、金子氏がセナへの尽きせぬ思いを語る。
ホンダとの“別れ” 伝説のレース
1991年に自身3度目のワールドチャンピオンに輝いたセナ。 しかし、1992年はアクティブ・サスペンションを実用化させたウィリアムズが圧倒的な強さを見せ、4位に甘んじた。 翌1993年には“別れ”も訪れた。特別な絆で結ばれていたホンダが、F1から撤退したのだ。 「これがその1993年の写真ですね。チームはマクラーレンですけど、ホンダが離れちゃって、フォードエンジンになった時代です。どういう思いで走っていたんでしょうか…」 戦闘力を欠くマシンで健闘したものの、1993年は2位で終戦。一方、チャンピオンにこそなれなかったが、この2年の間にセナは、いくつか伝説的な走りを披露している。 その一つが、1992年のモナコGP。ウィリアムズの最強マシンを駆るナイジェル・マンセルの猛追を神がかり的なブロックで抑え続け、勝利を収めたレースだ。 1993年のヨーロッパGPは、“雨のセナ”を象徴する一戦として語り継がれている。ウエットコンディションの中、スタートで出遅れ、5位に後退したセナ。だが、オープニングラップでライバルたちをごぼう抜きしてトップに立ち、最終的には大差をつけて優勝した。 また金子氏は、この時代を象徴する2人と、次世代を担う若者が競い合う貴重なショットも撮影していた。 「これはセナと(アラン・)プロスト、そして(ミハエル・)シューマッハですね。今考えると、すごい3人ですよね」
奪還目指し移籍「史上最悪の週末」へ
1994年、セナはチャンピオンへの返り咲きを目指し、コンストラクターズタイトル2連覇中のウィリアムズに移籍した。 しかし、この年からアクティブ・サスペンションが禁止されたことなどが影響し、まさかの苦戦。 デビュー以来、初めて、開幕戦ブラジルGP、第2戦パシフィックGP(TIサーキット英田)と、2戦続けてノーポイントに終わった。 続く第3戦の舞台は、イタリアのイモラサーキット。そう、サンマリノGPだ。 巻き返しへ、心新たにしていたというセナだが、待っていたのは「F1史上最悪」とも呼ばれる週末だった。 4月29日金曜日、1回目の予選で、ルーベンス・バリチェロがウォールフェンスに激しく激突。奇跡的に鼻骨骨折で済んだが、安否が危惧されるほどの大事故だった。 翌30日には、起きてはならないことが起きた。2回目の予選でローランド・ラッツェンバーガーがクラッシュし、命を落としたのだ。セッション中に死亡事故が起きたのは、12年ぶりのことだった。