今 日本ボクシング界は黄金期なのか ――世界戦8試合の現状を読み解く――
日本のボクシング界は、この年末に空前絶後の世界戦ラッシュを迎える。 12月30日、31日に東西で組まれた世界タイトル戦は、実に8試合。対戦カードは別表のとおりだが、30日の東京体育館でのイベントには、ロンドン五輪金メダリスト、村田諒太のプロ転向第6戦も組み込まれ、大阪での大晦日興行では、2階級制覇を狙う井岡一翔が世界前哨戦を戦う。 現在、日本に世界王者は年末興行に登場しないWBC世界バンタム級王者の山中慎介(帝拳)、WBC世界Sフェザー級王者、三浦隆司(帝拳)、ライセンス失効中のため国内で試合のできないWBO世界バンタム級王者、亀田和毅(亀田)を加えて5人。先日、NHKは「日本ボクシング界は、今、黄金期」という特集を組んだが、果たして、2日で8試合も世界戦を組む日本のボクシング界は、本当に黄金期なのか。 まずは何をして黄金期と呼ぶのかという定義が必要だろう。 日本に在籍する世界王者の人数なのか。ボクシング自体のブームなのか。個々のボクサーの人気なのか。実力なのか。世界における評価なのか。2012年3月には、日本ジム所属の世界王者が9人揃った時代があったが、黄金時代とは呼ばれなかった。人気とラスベガスのリングでも通用するような実力の両方を兼ね備えた王者が複数揃い、社会現象へとつながった時代を黄金期と定義するのが正しいのかもしれない。 過去に黄金時代は3度あった。
ボクシング専門誌「ボクシングビート」の前編集長で、1974年にアリがフォアマンを倒した“キンシャサの奇跡”を現地取材した数少ない日本人ジャーナリストの一人、前田衷氏は「最盛期は、週にテレビのレギュラー番組が3本もあった1960年代だろう。いわゆる海老原、原田、青木の3羽鳥の時代。世界ベルトも団体がひとつで階級も少なく、世界王者の価値が高かった。私が編集長をしたボクシング専門誌の売り上げから見ればピークは、具志堅が世界を獲得した1970年代後半。次に辰吉が登場した1990年代。この3つの時代が人気と実力を兼ね備えた黄金期でしょう」と説明する。 最初の黄金期は、フライ級3羽鳥と呼ばれたファイティング原田、海老原博幸、青木勝利という3人が活躍した1960年代。1962年10月にファイティング原田がポーン・キングビッチからKOで世界フライ級のベルトを奪う。白井義男以来、7年10か月ぶりに日本へもたらした世界王座だった。戦後の急速な経済復興の時代にテレビが普及。世界へ堂々と立ち向かう日本人の姿と、原田のスピリット、海老原の驚愕の切れ味、青木のパンチ力という個性が大衆に支持されて大ブームを作った。1964年には東京五輪が開催されて、桜井孝雄がバンタム級で金メダルを獲得している。 実は、この時代にフジテレビが紅白歌合戦に対抗するコンテンツとして大晦日にボクシング中継を3年間続けて行っている。いずれも世界戦ではなかったが、関光徳、海老原という当時の人気ボクサーが起用された。黄金時代はブームに火をつけたテレビというメディアの存在を抜きには語れない。テレビは同時に様々な功罪をももたらすのではあるが…。