今 日本ボクシング界は黄金期なのか ――世界戦8試合の現状を読み解く――
第二次黄金期は、1970年代だ。小林弘、西城正三、沼田義明、柴田国明、大場政夫という5人の世界王者時代が誕生した。特に大場のマスクも甘く、ボクシングもスタイリッシュで、しかも、最後まであきらめず逆転勝利を呼ぶファイトは熱狂的な人気を集めた。 1970年には階級の違う小林と西城が世界王者同士でノンタイトルで対戦する究極の「日本人最強決定戦」もあって、小林、西城、沼田が王座陥落した後にも、輪島功一が世界王者となり黄金時代は続く。1976年に輪島が王座を失うと日本に世界王者が不在となる4か月間の空白が生まれたが、10月に具志堅用高がWBA世界ライトフライ級王者となって防衛を繰り返すとすぐに人気が盛り返した。 次の黄金期は1990年代である。1990年2月、世界戦21連敗という冬の時代に、現大橋ジム会長で全日本ボクシング協会会長でもある大橋秀行氏がストロー級のタイトルを獲得して終止符を打つ。その4日後に東京ドームでマイク・タイソンがジェームス・ダグラスに世紀の番狂わせでKO負けを喫したが、そのアンダーカードにプロ2戦目の辰吉丈一郎が登場していた。辰吉のカリスマ性に、クールな鬼塚勝也、ファイターのピューマ渡久地の3人は、「平成の三羽烏」と呼ばれ、辰吉がプロ8戦目で世界王者となると、この時期に世界王者は再び5人となり、1994年12月の辰吉vs薬師寺保栄のWBC世界バンタム級統一戦が、黄金時代のピークを象徴する注目のビッグマッチとなった。 少々、昔話が長くなったが、その過去3つの黄金期と比べて現在のボクシング界が置かれている状況はどうなのか。世界王者は5人いる。山中はV7、内山はV9、2人のKOを体現するスタイルは歴史的にも突出するものがある。しかし、人気、ブームという点ではどうだろう。ボクシングに関心のない人でも知っている名前となると亀田3兄弟に五輪金メダリストの村田くらいではないだろうか。まだお茶の間を巻き込んだ社会現象には至っていない。MLBを含めたプロ野球と欧州サッカー、おまけにフィギュアスケートにテニスの錦織圭と、見る側に世界に通用する魅力的な選択肢が増えて、なかなかブームを作りにくいという環境にもあるが、それを差し引いても黄金時代と呼ぶにはまだ早い。 前述の前田氏も「年末に8試合の世界タイトル戦をやるから、それをイコール黄金期と呼ぶには違和感はある」と言う。「複数のタイトル戦をやるのは途中でチャンネルを回して欲しくないというテレビ局の意向が強い。1960年代もテレビ放送の数に選手の数と質がついていけなくなった現象も起きてしまった。またWBO、IBFの両団体が認可されたことで複数の世界戦実現が可能にもなった背景もある。かつてアメリカでプロモーターのドン・キングが一日に8試合の世界戦をやったことがあったが、第1試合は観客もガラガラで長時間の興行でファンは疲れてしまっていた。 世界戦の乱立はファン離れを起こす危険性も持つ。原田氏が黄金のバンタムと呼ばれたほど無敵のエデル・ジョフレを倒したように本当に強いチャンピオンを倒すカリスマボクサーが一人、二人と生まれてこないと黄金期を迎えることにはならないのではないか」