推し活をやりすぎる人が「無能」に陥るリスク 人々が同調して美しいのは、演奏とダンスだけ
では、たとえばアイドルの女性タレントを偶像的に崇拝している1人の男性の例ではどうなるか、次に見てみよう。 ■自分の中にもある魅力に気づかない アイドルタレントのファンになっている、ある男性がその女性に見ているものは、はつらつとした美しさ、性的な魅力、きらきらとした躍動感、年齢にふさわしい無邪気さや強さ、才能の輝き、健気(けなげ)なひたむきさ、などたくさんあるだろう。 それを堪能(たんのう)したくて、コンサートや握手会にせっせと足を運ぶのだ。
彼が彼女に認めているそれらさまざまな魅力は、実は彼女のうちにだけあるものではない。 彼自身の中にもひとしくあるものなのだ。それを彼は彼女の中にのみ見て、彼女はすばらしい、唯一の存在だと感激しているのである。 彼がアイドルに感動するほど、彼自身はみじめになる。自分の内心にあるみじめさを押し隠すようになる。それはひそかに今の自分を否定することだ。そしていつまでたっても、彼女と同じものが自分の中にあるのに気づかないのである。
この状態は、自分そのものをのけものにしてしまうことだから、これが自己疎外と呼ばれるものなのだ。アイドルを崇拝するほどにかえって自己を疎外してしまうのである。つまり、自分をあるがままに経験しない状態におちいってしまう。 もし、彼がタレントにあこがれることなく、いつも自分自身のままでまっすぐに生きていたならば、自分の中にあるあらゆる能力や魅力を仕事や行動を通じて体感できていたはずだろう。しかし、彼はそれをしないのだ。
そうなることが、偶像それ自身と同じ無能になってしまうということなのだ。それは個々の人間の能力や生命力を殺すことになる。これはまさしく、人間として生きることの否定となる。だから、あの十戒の中に偶像崇拝の禁止が刻まれていたのである。 ■もし医師が偶像崇拝者だったら 1人の医師が偶像崇拝者だったらどうだろう。たとえば、その医師はヒポクラテスサンと名づけられた偶像をひそかに崇拝している。難しい手術や治療の前には、世界最高の医師ヒポクラテスサンに祈る。手術や治療があまりうまくいかなかった場合は、自分の祈りが足りなかったのではないかと疑い、次回からはもっと念入りに祈るようになっている。