多くの観客を感動の渦に巻き込んだ『トイ・ストーリー3』の功績 作品の価値を再吟味
『トイ・ストーリー4』のテーマの存在が『トイ・ストーリー3』のテーマを弱めることに
悲痛なのは、保育園の利権をむさぼっている、心に闇を抱えたおもちゃもまた、自分の存在意義が揺るがされる出来事を経験したという点だ。『トイ・ストーリー』シリーズの第1作、2作には、確かにおもちゃの存在意義が危うくなる、切ないシーンが存在していた。しかし本作に至っては、観客に罪悪感をおぼえさせるレベルにまで、描写が辛辣になっているのである。なにせ、ゴミとして捨てられたおもちゃが最終的にどのような目に遭うのかというところまで描いているのだから。ここが、本作が最も冒険している部分だといえよう。 とはいえ、最終的には多くの観客の心を動かし、いまもなおピクサー作品のなかでも屈指の名作との呼び声が高いという結果を見ても、本作がそこから納得できる着地点に、鮮やかに降り立つことができたことが分かるのである。じつは大学生になったアンディが、自分の全てのおもちゃに強い愛着を持っていたことが彼の口から示される描写には、多くの人が滂沱の涙を流したはずである。 不本意な境遇に甘んじるのではなく、新たな環境に身を置くこと、必要とされる居場所を見つけていこうとする姿勢は、本作の問題に対する、一つの答えとなっている。そして同時に、優しく立派に育ったアンディを通して、子ども時代におもちゃと遊んだ記憶が、本人にとってかけがえのないものであり、これから大人になっていく子どもたちの創造力や、人格にかたちを変えて、おもちゃは永遠に存在していくという希望を示唆したことも、本作の功績だと考えられる。人間の存在も、また同じことがいえるだろう。 そしてさらに、おもちゃという存在が、異なる立場の者たちのコミュニケーションツールになり、一緒に遊んだり体験を共有することもあるという部分すら、本作は描いている。ここまで抜け目なく、おもちゃのポテンシャルを伝えきれているというのは、ピクサーのストーリーの伝統的な作り方である、集団でディスカッションしながら構築していくやり方ならではだといえる。この独特の方法は、“守り”に適した性質を脚本に与え、全て良い要素ばかりを物語にもたらすものではないものの、これまで多くの効果を上げているのは事実であり、これがピクサー作品の大きな特徴となっていることも確かなことなのだ。 さて、このように完成度が高く、万人に支持されているといえる本作に比べると、次作の『トイ・ストーリー4』(2019年)は、賛否が分かれる結果となっている。その大きな理由は、おもちゃに“人に遊んでもらう”以外の価値観が生まれるというところを、新たに描いたところにある。それは、哲学的な領域まで踏み込んで、さらなるおもちゃの可能性を考えるという意味で、画期的な試みだった。だが、本作『トイ・ストーリー3』が、あまりにきれいなラストを迎えたために、それ以上の深刻なテーマを設定するのは蛇足だと感じてしまう観客が少なくなかったのだ。 きれいな終わり方をした3作目の続きを創造し、新たなテーマを生み出すならば、確かに4作目のようなアプローチをしなければならなくなるはずである。そうでなければ、同じ価値観の主張を繰り返すだけの、空疎な作品になってしまうからだ。とはいえ、4作目のテーマの存在が3作目のテーマを弱めることになったのも事実であろう。4作目を批判する観客は、本作の感動に水を差されることに反発している部分が大きいと考えられるのである。 また、3作目と4作目の間には、ピクサーを代表する存在だった、ジョン・ラセターが、セクハラ問題によって社を去るという、大きな出来事もあった。いま5作目の制作が進んでいるように、ラセターのいないピクサーでは、“ピクサーの魂”の物語を、残った者たちで繋げ直しているところなのだ。 クリエイティブの面において、いったんは大きな支柱を失ったピクサーではあるが、先日、『インサイド・ヘッド2』がピクサー最大のヒット作となったように、大きく復調を見せているといえるだろう。それは同時に、新たな自由や挑戦できる幅が広がったことをも意味している。『トイ・ストーリー』シリーズが辿っていく“無限の彼方”には、果たしてこれから何が待っているのだろうか。
小野寺系(k.onodera)