永遠につながる喜び――北村薫×穂村弘『不思議な時計 本の小説』刊行記念対談
穂村 あそこも好き。あの、江戸川乱歩と朔太郎が「木馬心酔者」って。その言葉、面白いですよね。なんだ、木馬心酔者って? と思うけど。木馬に心酔した二人が、当時で言えばもう中年もいいとこなんだろうけど、一緒に乗ってしまうという夢のような実話。この二人の才能の秘密は童心だと思うから、木馬はタイムマシンみたいな感じがする。 北村 記憶だと二人とも木馬に乗ってるような図が浮かぶんだけど乱歩は…… 穂村 自動車型のに乗っていたと。 北村 その辺が面白いですね。 穂村 あとトランプの手品の違いもね、二人の作風を考えるとなんか面白いですよね。ミステリと韻文と。ジャンルの起点になるような巨人たちがあんなにこう、子どもの純度が高いっていうのが、やっぱり嬉しい。乱歩がミステリのトップでよかったなとか、朔太郎から口語自由詩が始まってよかったな、みたいにね、思いますね。森鴎外とかだと、偉すぎて無理みたいな。鴎外になんか誰もなれないじゃんみたいに思っちゃうけど、乱歩や朔太郎はね、なんかこう、もちろんなれないんだけど、でもやっぱり鴎外とは違いますよね、大人じゃない。 北村 穂村さん、木馬は? 穂村 えっ、乗りますか、今度一緒に。 「ここまでおいで、乱歩さん」 ――ここはやっぱり小説たるところですね、この辺がね。 これは、「当時は明治期、少年時代の郷愁に満ちたジンタ楽隊の伴奏つきであった」と、乱歩が実際に書いてますものね。やっぱりこういうイメージですよね。タイムマシンみたいにこう、それに乗った時、我々は、禿げてるけど子どもなんだ、みたいな。 北村 それで、ちょっと朔太郎のほうがお兄ちゃんって感じになっているっていうのがね。 穂村 年上ですもんね、朔太郎のほうがね。 ★ 北村 今回は萩原朔美さんからとてもいいお言葉を、「波」2024年4月号の書評でいただいて、このものがたりは、こうやって完結するのかと思いました。 穂村 この時計の話もね、すごかったです。 北村 私が古本屋回りをしていて見つけた萩原葉子さんのエッセイにその時計のことが書かれていて、私の大事な父・朔太郎の遺品です、と。それはわりあい知られていない文章だった。たまたま神保町でそのエッセイが収録された本を手に入れて、ああ、なるほどなと思って読んで、その時計に出会えて、これがそうか、朔太郎はこのネジを回したのかって思っていたら、それは全然違って間違いだった、と。それもまた、葉子さんらしいんですけどね。 穂村 本は買っておくべきってわかっているんですけどね、置き場所はどうなってるんですか。 北村 いや、べつにそれほどでも。 穂村 買うべき本を買っている。引きが強い。 ★ 穂村 あれも面白かったな、「もゝちどり」について、以前書いたことの訂正が入っていたりするのも、メタ的で。 北村 本当はね、ちゃんとその本で訂正版を再版してほしいんですけど。 穂村 あの形が面白い気も。すごくリアルな感じがするんですよね。たしかに、読書探偵の調査に終わりはないんです。どこまでも新発見って続くわけだから。 北村 日々ありますよ、いろんなことが。で、生きててよかったなと思う。 穂村 ね、こんなに楽しいなら、神保町、僕も久しく行かなくなっていたけど、また行こうかなって思いました。 北村 だからいろいろ読んでると、ああ、これ、死んでいたらこれ読めないから、知らないままだったな、と。 穂村 知らないままで死んでいくんだってね――いや、後からこれをあの人に教えてあげたかったみたいなこともありますよね。あの人にこそ、これを知ってほしかった、みたいな。 ★ 穂村 北村さんの連想力ってやっぱりすごくて、パノラマの話からモネの睡蓮、あの部屋が一種のパノラマ的な空間だっていうのもびっくり。そういう発見、やっぱり肝は連想の部分ですよね。“そう言えば”あれと繋がる、と。それで、本を探してるうちに、また偶然、出会ってしまう。その臨場感を読者も一緒に味わうことができる。 さっきも言いましたが、飲む・打つ・買う的に行くと、だんだんすさんでくるけど、こんなに楽しいならいつまでも生きて本を読み続けたい、と。年を取れば取るほど、本の偶然性の繋がりって深く広くなっていくから、ほんとうに北村さんの場合は、古今であり東西でありね、韻文と散文みたいな繋がりもあるし、すべての要素が含まれていて。この本は、いつまででも読んでいられるっていう感じがしました。 2024年3月28日 新潮社クラブにて [文]新潮社 協力:新潮社 新潮社 波 Book Bang編集部 新潮社
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