築地に埋めた“被ばくマグロ”はどこに…白黒写真に手書きで「埋立て場所」 被団協ノーベル平和賞受賞で再注目される「第五福竜丸」
手渡された築地市場の白黒写真…「埋立て場所」と手書き文字が
被ばくマグロの行方はどこなのか?第五福竜丸とともにマグロも被ばくしたという歴史を後世に残そうと活動している、「築地にマグロ塚を作る会」の事務局長・及川佐さんに会うことなった。 及川さんは「もっと広範囲で調査しないとだめです。きっとマグロはまだ埋まっているはずですから」と話す。そして、及川さんから「被ばくマグロを埋めた場所を記している写真です」と、1枚の資料を渡された。写真そのものではなく、コピーされたものだった。 1950年台当時の築地市場の写真に、手書きで「埋め立て場所」の文字と矢印が書かれている。その右上には「野球場」と書かれていた。この資料によれば、野球場の横に埋められたということになる。 当時の報道で、日刊食料新聞も「マグロやサメを市場内野球グランドに地下3メートルの穴を掘って埋めた」と報じている。 埋められた場所がある程度予測できたので、再度東京都に跡地に入っての取材を申し込んだのだが、今回も答えはNOだった。「工事中で立ち入りができない」というのが理由だが、9月、現場を訪ねたが、築地市場跡地は更地となっていて、工事を行っている様子はなく、車両の出入りは私がいた1時間の間で1台もみられなかった。 マーシャル諸島ビキニ環礁で被ばくしたマグロ漁船「第五福竜丸」の元乗組員、大石又七(おおいし・またしち)さんは、がんなど様々な病気に苦しみながら核廃絶を訴える活動を続けてきたが、2021年に87歳で亡くなった。 「マグロ塚は石ですけれども、原爆のことをみんなに思ってほしい。核兵器をなくしていかなければ、皆さんも大変なことになるということを知ってほしいと思う」。大石さんは生前、核の怖さを後世に残すため、築地にマグロ塚を設置するべきだと訴えていた。 「築地にマグロ塚を作る会」事務局長の及川さんは、日本被団協のノーベル平和賞の受賞にあたり、大石さんが知ったならばとても喜んだはずだという。 「ビキニ環礁でのアメリカの核実験から70年を経た今日、この受賞は築地に『マグロ塚を作る会』の20年以上の活動にとっても大いに励みになるものです。 一方、核実験が行われたビキニ環礁で操業していた第五福竜丸以外の被災船の乗組員の方など、今なお救済と補償を求めて闘っている方々のことを忘れてはなりません。私たちは、故・大石又七さんの遺志を引き継ぎ、被爆者の方々と連携し、核なき世界の実現を目指します。同時に私たちは、今後とも築地跡地にマグロ塚の移設を東京都に求める活動を強めてまいります」 (フジテレビ社会部 大塚隆広)
大塚隆広