英バンド、オアシスの軌跡を辿る『リヴ・フォーエヴァー:Oasis 30周年特別展』展が開催 オリジナルグッズも大人気
現在も語り継がれる名曲の多くは、なぜか春に生まれるものが多かったという。 ノエル 「俺の作った曲は希望を感じるものが多いからね。春も希望を感じる季節だ。冬が終わって、日照時間も長くなってきて、暖かくなる。俺の曲にも希望に満ちている。面白いと思った。狙ってそうなったわけじゃない。ある時ふと気づいたんだ。『5月の自分の誕生日の前後にいつも曲を書いているな』って。いつもだ」 だが、ノエル自身はあまり過去を振り返るのは、あまり好きじゃないと語る。 ノエル 「終わったことを見返すのは好きじゃない。でもネブワースのライヴ・ドキュメンタリーをまとめた時は最高だった。初めて目にした映像だったから。30年近く経って初めて観て、『音、最高じゃん』って思った。90年代における、俺たちのマイルストーン的な出来事だった。でも、基本的には終わったものを見返すことはない。特に理由はないんだけど、目の前のことを大切にしたいと思っているからだ」 また、ネブワースの映像を改めて見直してみて、ファン(リスナー)の変化に驚いていた様子。 ノエル 「当時のほうが女性ファンが多かった。オアシスは次第に『若い野郎どものバンド』として知られるようになったわけで。不作法で、暴れてビールを掛け合うような。ヴォーカル(リアム)の出来損ないのような連中だ。でも駆け出しの頃は、ライヴには女性ファンもけっこう来ていた。その対比には驚いたよ。あのドキュメンタリーを見て面白いと思ったのがそこだった」 また、日本での公演も、思い出に深く刻み込まれている。 ノエル 「94年に渋谷のクラブ・クアトロでやった初来日公演はよく覚えているよ。初めて自分たちがロック・スターになったと思ったのが、あそこだったからね。当時、イギリスではただのインディ・バンドにすぎなかったんだ。それが日本に来るなり、ファンの熱狂ぶりが凄くて、まるでビートルズ・マニアみたいだった。『なんだこれ?』って面食らったけど、『最高じゃん』って思った。ホテルから出られなくて、街ではファンに追いかけられて……。いい時代だったよ」 来日中には、楽曲のアイデアが思い浮かぶことも。 ノエル 「『ザ・マスタープラン(95年発表シングル「ワンダーウォール」のカップリングに収録)』は、日本で書いた。元々の歌詞をホテルの便箋に書いたんだ。それを、持ってたら良かったんだけど。歌詞がやがて価値のあるものになるなんて思っていなかったから、書いた後ゴミ箱に捨ててたと思う。しょうがない」 残念ながら「ザ・マスタープラン」の歌詞は探せなかったものの、展覧会では貴重な手書きの歌詞も展示される。