一晩で熱が下がる娘に違和感…その後、医師「数値がおかしい」9歳で他界した娘を襲った病とは。その後、こどもホスピスプロジェクトに携わる母の思いに迫る
「ママ、もう一回一緒に頑張ろうね」
佐知ちゃんの闘病生活は3年4ヶ月、そのうち2年7ヶ月は入院生活でした。 「6年しか生きていない中での1年と、50年生きた中での1年はやはり長さが全然違っていて、子どもにとっての1年は永遠くらい長いものだと思います。白血病が再発した際、今までは治ること、元通りの生活に戻ることを信じてやってきたものが一気に崩れました。親である私自身が、もうがんばれない、前へ進めないと思いました」と晃子さん。 「今までやりたいことは 『元気になったらやろうね』とたくさん我慢をさせてきました。再発を聞いた瞬間、佐知に対して申し訳ない気持ちと罪悪感をすごく抱き、もうこの世が終わったと感じました。消灯間際に医師からお話があり再発を知り、そのときは心の風船が破裂寸前。少しの刺激で裂けてしまいそうだったのですぐに部屋に戻れませんでした。消灯後ということもあり、シーンと静まり返っている中、支援学級の前においてあるソファで声を殺して泣きました」 「でも佐知は一人でベッドにいて、もしかしてまだ起きているかもしれないから、早く部屋に帰らなければと必死で涙をとめようとしました。当時2人部屋だったのですが、部屋もシーンと静まり返っていて、そーっと佐知の隣に。佐知は寝ていたのか起きていたのかわかりませんが、目をつむっていました。布団に入ってからも頭から離れず、気を許したら涙があふれてくる状況でした。隣の子とは手を伸ばせば届く位置にベッドがあり、佐知の頭は私の肩とくっついていたので、泣き声や呼吸が佐知や隣の親子に聞こえて起こしてしまったらまずいとか考えながらあふれる感情をただただ殺して朝が来ました」 朝には再発を伝えなければなりませんが、晃子さん自身は頭の整理もできていない状況。そのためストレートに再発したことを伝え、一緒に泣いたといいます。 しかし、佐知ちゃんから出た言葉は「ママ、もう一回一緒に頑張ろうね」でした。 実際つらい検査治療をするのは本人であり、過去の経験から過酷な状況になることは想像がついたと思われる中、佐知ちゃんは晃子さんを励ましてくれたのです。 その後2021年5月11日、全身の状態が悪化し、いつどうなってもおかしくない状態に。 家族で話し合いを行い最期をお家で過ごすために退院をすることになります。 「呼吸状態はもちろん、全身状態が非常に不安定で、次の瞬間呼吸が止まってもおかしくない日々の中で、佐知のお家に帰りたいというおそらく最後になるであろう夢を叶えたいと思いました。そして佐知の願いを叶えることが家族の願いでもあったので、自分たちにできることは何でもするという姿勢でいました」 このような状態で帰りたいと言っていいのだろうか、患者のわがままではないのかとも考えた晃子さん。しかし、移動中に呼吸停止、心停止を起こす可能性があることも家族で話し合い、そうなってもそれが佐知の寿命だったと思おう、あの時連れて帰らなかったらと後悔するのはやめようと確認し、最期はお家で看取りたいと医師、担当看護師さん、緩和ケアチームに相談しました。 すると「お家に帰りましょう」と、たくさんの医療スタッフの方々が佐知ちゃんの退院に向けて一致団結してくれたのです。 「私は家に帰るまでの事務手続きや関係部署とのやりとりで、1ヶ月くらいはかかるだろうと思っていましたが、来週には帰れますと言われチーム医療の底力を見せていただきました。一人の子どものために、たくさんの方々が関わり、お家に帰るという目標をみんなで達成できた気持ちになれました。皆さんと一緒に夢をかなえられたという達成感でいっぱいでした。本当に嬉しかったです。覚悟をもって行動に移せてよかったと思いました」 退院の時の様子については「意識レベルも低下していましたが、お家に着く手前の交差点で信号待ちをしている時に、小学生の下校時間と重なり、こどもたちの元気な声が聞こえてきました。そうしたら、佐知がその声の方に顔を向けようとしていました。みんなと一緒に学校に行きたかったと思った反応だったのかな。下校中のみんなの声が佐知に届いてよかったです」と晃子さんは話します。 そして佐知ちゃんは3日後の5月14日、顔面痙攣後呼吸停止、しかしその20分後呼吸を再開するという奇跡を起こします。 「『もうすぐお空へ行くよ』というメッセージにも思えたので、一家総出で未開封のおもちゃを全て開けてみんなで全力で遊びました。いつどうなってもおかしくない状況で、佐知に今まで伝えられなかった思いを全て伝えました。『私のことを一番大好きでいて欲しい』が佐知の願いでしたが、3つ年上の兄の正輝もいるので今まで『同じくらい好き』としか言えませんでしたが、その時は『さっちゃんのことが世界で一番大好き』と伝えました。私がそう言うと、もう声は出なかったけど佐知が口パクで『だいすき』と言ってくれました。」 その後、佐知ちゃんはお空に旅立ちました。