【今週はこれを読め! SF編】テクノロジーにまつわる八篇~宮内悠介『暗号の子』
宮内悠介の新しい短篇集。八篇を収録する。 表題作「暗号の子」は、ひとつのコミュニティの勃興から没落までを綴る。もともとはオンラインのASD(自閉スペクトラム症)の自助グループだった。ブロックチェーン技術を用いた分散型自律組織で、管理者も責任主体もなく、高度な匿名性が担保されている。メンバーのなかから、この空間でさまざまな社会制度のシミュレーションが提案され、機能拡張がはじまった。発行上限の決められたトークンを有志が買い(コミュニティに参加するだけならば購入せずとも良い)、それを通じて集団の意志を決定する仕組みだ。トークンの多寡に応じて影響力が決まる。このコミュニティはクリプトクリドゥスと名づけられた。 クリプトクリドゥスの基調は、政府や制度の束縛、人間関係のしがらみを嫌う完全自由主義だが、コミュニティそのものに犯罪性はない。しかし、参加者のひとりがコミュニティの外(現実の日常)で殺人を犯し、捜査の過程でクリプトクリドゥスの存在に好奇の目が集まってしまう。反社会的なカルトと決めつける論調もあった。主人公のわたしはクリプトクリドゥスのトークンを多く保有し、コミュニティに深くコミットしていた。捜査側はトークンの動きを分析することで、わたしにたどりついたらしい。しかし、参加者個人の私怨による犯罪と、クリプトクリドゥスの思想は無関係であり、そもそもクリプトクリドゥスには代表者がいない。 物語はわたしの視点で綴られるが、それを相対化する立場も同時に描かれる。とりわけ重要なのはわたしの父だ。父は完全自由主義の行きつく先は、社会との結びつきを失った、個の利益ばかりが追求される世界だと警告する。そう考えるに至った、父自身の人生も物語の途中で明かされる。 それとは違うかたちで、クリプトクリドゥスの思想を相対化するのは、わたしの元に警察とともに訪ねてきた経済産業省の職員である。彼はクリプトクリドゥスの犯罪性を疑っているのではなく、むしろ、その可能性に注目していると言う。つまり、政府や制度を嫌う完全自由主義者たちが作りつつあるシステムを、体制側が有効なモデルケースとして体制に回収しようとする。なんとも強烈な皮肉である。 ただし、この作品は思想の正当性やシステムの妥当性といった、大所的な是非を論じているのではない。集団からはじき出されて、自分の拠り所を求めつつ、拠り所に収まってしまうことも居心地の悪さを感じてしまう。そんな自由と共同体のあいだで輾転反側する人間の姿が、静かな哀調で描かれる。 「最後の共有地」でも、ブロックチェーン技術が取りあげられる。タイトルにある「共有地」とは、「共有地の悲劇」----各自が利益の最大化を目指すことで共有資源の枯渇を招いてしまう----に由来する。この状況を変えようとしたのは、有田壮一というひとりのカリスマだった。彼はMIT在学中からつねに人間の輪の中心にいる存在で、ブロックチェーンによって複雑な合意形成を処理する仕組みを考案する。利益を生む対象(たとえば新たに採掘された資源)は、ZTC(Zero Trust Consensus)というシステムのもと、まずトークン化される。このトークンがブロックチェーンを通じて承認される過程で、所有権の配分など、人類全体にとっての最適解が導きだされる。もちろん、オールマイティではない。漁業や鉱山、過放牧の対策には有効だったが、立法、国境問題、医療の分野には不向きなことがわかった。 この作品の妙味は、ZTCというアイデアの新奇性よりも、有田壮一が巧妙に仕掛けた詐術、それによって躍らされる世界の実態、そして一筋縄ではいかない有田の人間性にある。有田と学生時代からつきあいの深い研究者を語り手に据えることで、物語全体に絶妙な距離感がもたらされる。 「偽の過去、偽の未来」でも、ブロックチェーンを用いた複雑な合意形成の処理が題材のひとつとなる。主人公はこの技術に取り組む研究者であり、あくまで中立・誠実を貫いているのだが、世間からは未来学者のように扱われてしまう。いっぽう、同居する父親(引退したエンジニア)は、仲間とレトロゲームに興じる毎日で、いわば過去の幻影のなかに暮らしている。親子の対照を描く点では、「暗号の子」とも共通する一篇。 「ローパス・フィルター」は、SNSで過激な意見や扇情的な発言を見えなくするフィルターをきっかけに、その背後にあるデリケートな倫理が前景化される。 「明晰夢」は、サイケデリック体験をもたらす没入型アプリが普及し、それを日常的に享受する若い世代と、かつてのLSD文化を奉じる世代とのあいだに文化対立が生じる。アイロニカルな展開が面白い。 「すべての記憶を燃やせ」は、宮内悠介自身による五行の文章を元に、AIが書いた掌篇。もちろん、AIを前提として、設定やキャラクターを設定するのは作者であって、その発想というか調整が作家性ということになる。中核にあるのは、読んだ人間をおかしくさせる詩というアイデアだ。文章が異様に繰りかえされ、呪術的な雰囲気に仕上がっている。 「行かなかった旅の記録」は、ネパールを旅している主人公が伯父の死の報に接し、過去に思いを馳せながら紀行を綴っていく。透明な水が自然に流れていくような、淡い味わいの逸品。 「ペイル・ブルー・ドット」は、かつては宇宙へ行くことを望み、いまは人工衛星に組みこむソフトウェア開発に携わっている、冴えない会社員の主人公が、公園で天体観測をしていた少年と出会って、活気を取り戻す。才気煥発な少年の様子、ふたりで取り組む新しい目標、アメリカからメールで主人公に発破をかける高校天文部の生意気な後輩......。ひたすら宇宙に憧れる魂を描いたSFと言えば、ロバート・A・ハインライン「月を売った男」が有名だが、その舞台を現代日本へ移し、テクノロジーを実際的なものに寄せ、爽やかな青春小説にブラッシュアップした感じだ。 (牧眞司)