「いきなり中井貴一くんと二人きりに」衝撃の『ふぞろいの林檎たち』デビューから45年 高橋ひとみが振り返る役者生活の原点「いまだに超えることができない」
高橋さん:テレビドラマを勧めてくれたのも寺山さんでしたね。「どうして私を舞台に出さないの?」と生意気なことを言ったら、「ひとみは映像に行きなさい」と。理由はなぜだかわかりません。 でき上がってきた第1話の台本を見て、「この役は素晴らしいから、これで次に続かなければ、女優をやめなさい」と言われ、稽古もつけてくださいました。 リハーサルから戻ったら、「山田になんて言われたの?」と。いただいたアドバイスを伝えたら、「じゃあ、もう1回稽古しよう」と、とことんつき合ってくれました。ですが、その後に病気が悪化し、ドラマの放送を観る前に、亡くなられてしまいました。お別れのときは、その台本を棺に入れてお見送りしました。
■いまも忘れられない山田太一さんからの愛ある言葉 ── 昨年11月、脚本家の山田太一さんの訃報を受け、「初めていただいた年賀状に、『ご自分を大切に』と書かれていました。つねにこの言葉が私の中にあります」とSNSで追悼されていました。この「ご自分を大切に」という言葉には、どんな思いが込められていたのでしょうか? 高橋さん:ご本人に聞いたわけではないので真意はわからないのですが、もしかしたら、「やみくもに仕事を引き受けるのではなく、きちんと選んで、寺山が思い描くような女優になってほしい」ということなのかなと。
ただ、当時の所属事務所には私としんごくん(柳沢慎吾さん)しかいなかったので、来た仕事はすべて引き受けるという状況だったんです。 きっと、山田さんとしては、せっかくいい役で役者として素晴らしいスタートをきったのだから、「焦らず、じっくり女優として成長してほしい」思いがあったのではないでしょうか。 ── それだけ期待されていたのでしょうね。「寺山さんから預かった」という気持ちもあったのかもしれません。
高橋さん:そうだと嬉しいのですが、果たしてその思いに応えられていたのかどうか…。 じつはこの間、引っ越しの片づけをしていたときに、山田さんからいただいた年賀状を見ていたのですが、どうも最初のころと比べると、なんだか年々殴り書きみたいになってきている感じがして、「どうしよう…。もしかして、先生は怒っていらっしゃる…?」と。 勝手な憶測で、本当はまったく違うかもしれませんけど(笑)。年賀状はいまでも、大切な宝物として取ってあります。