「いきなり中井貴一くんと二人きりに」衝撃の『ふぞろいの林檎たち』デビューから45年 高橋ひとみが振り返る役者生活の原点「いまだに超えることができない」
■『ふぞろい』のメンバーは最高!いまでも青春時代に戻れる仲 ── 共演者の皆さんは、いまでも仲がいいとよく聞きます。 高橋さん:同世代ということもあって、すごく仲よくなって、撮影現場はいつもワイワイと賑やかな雰囲気でしたね。私は女子高だったので、「共学ってきっとこんな感じなのね」と、憧れだった男女共学の気分を味わうことができて、嬉しかったです。
毎日ずっと一緒にいたので、まるでクラスメイトのようでした。当時、ひとり暮らしだったさぶちゃん(時任三郎さん)の家にみんなで行って、枕投げをしたりして。 髪の毛がぐちゃぐちゃになって、顔もすっぴん。夜通しはしゃいで遊んだあと、そのままスタジオにリハーサルに行くこともありました。 40年経ったいまも、仲がよくて、呼び方も当時のまま。みんなすっかり立派になって、「貴一くん」とか、「さぶちゃん」なんて呼ぶと、若い子たちには驚かれますが、いまさら変えるのも変ですしね。いまだにみんなに会うと、青春時代が蘇ったような気持ちになります。
── 寺山修司さんの秘蔵っ子と呼ばれる高橋さんですが、『ふぞろいの林檎たち』の出演も、じつは寺山さんの推薦だったそうですね。 高橋さん:そうなんです。『ふぞろいの林檎たち』の脚本を書かれた山田太一さんと寺山さんが大学時代の親友で、毎日学校で会っていながら文通をするほど仲のいい文学青年でした。 ただ、寺山さんがネフローゼ症候群という病を患ってしまったのもあり、その後は何十年も会っていなかったのだそうです。でも、山田さんが若者の群像劇を書くという話を聞いた寺山さんが、山田さんの家に出向き、私が出演できるように頼んでくれたらしいんですね。
寺山さんがお亡くなりになった後、山田さんから、「それまで私がどれだけ『会いに来い!』と言っても一度も来なかったやつが、あなたのためだけに、わざわざ僕を訪ねて来たんだよ」と聞き、とても驚きました。そこから、予定になかった役をわざわざ作ってくださったのだとか。 当時、寺山さんは何もおっしゃらなかったので、まったく知りませんでした。その話を聞いて、思わず胸が熱くなりましたね。 ── 道を切り拓いてくれたのですね。