国学院久我山を支える81歳の名将 結論を言わない指導法 センバツ
第94回選抜高校野球大会に出場する国学院久我山(東京)に、尾崎直輝監督(31)を陰で支えるアマ野球界の名将がいる。東北、仙台育英(ともに宮城)を率いて春夏計27回の甲子園出場を果たした竹田利秋さん(81)だ。最初から答えを言わない「竹田流」の指導法は、国学院久我山をどう変えたのか。 2月下旬、国学院久我山は竹田さんが総監督を務める国学院大のグラウンドで打撃練習をしていた。名将は選手のスイングを見て、すぐに気づいた。「久しぶりに見たら、バッティングが狂っていたんですよ。でも、気づけていない」。尾崎監督に気づいたことを伝えたが、どこが狂っているかはあえて言わなかった。「何がおかしいのか、監督に見つけてほしかったから」という。 昨秋の東京大会決勝では2点差の九回2死から逆転サヨナラ勝ち。37年ぶりに頂点に立ち、センバツ切符を手にした。飛び抜けた力や長打力を持つ選手がいない中、意識したのが「つなぎ」だ。ヒットを打てる確率が高くなるように、選手はどんな球でも対応できるスイングの軌道を竹田さんから教わり、実践した。しかし、どの球にも対応できるようになったことで、ボール球にも手を出すようになっていた。それが「バッティングが狂っていた」答えだった。 指導を受けた上田太陽主将(3年)は「『打たなきゃいけない』と思うほど、低めの変化球に手を出す自分がいた」と、球の見極めを修正した。 竹田さんは東北の監督時代、日米で活躍した佐々木主浩投手を擁して1985年の春夏の甲子園で8強入りを果たした。仙台育英では89年夏に大越基(もとい)投手(元ダイエー)を擁し、甲子園で準優勝。国学院大の監督時代も捕手の嶋基宏(ヤクルト)を育てるなど、多くのプロ野球選手を輩出した。国学院久我山は2013年夏ごろから不定期で指導する。当時23歳の尾崎監督がコーチから昇格し、学校側から「若い監督を指導者として育ててほしい」と求められたのがきっかけだった。 国学院久我山は難関大学を目指す生徒が多い進学校。竹田さんには「勉強の意欲があふれた空気と子供たちの一生懸命に頑張る意識がうまくマッチしている。久我山の子は言ったことを理解してやり続ける賢さがある」と映った。その強みを、強化に生かすことに決めた。 チームに求めたのが言葉の「変換力」だ。「言われたことを自分の言葉で置き換えられるかで、どれだけ理解できているかが分かる。変わるきっかけを自分で見つけてほしい」。選手から質問があれば答えるが、自ら声は掛けない。気づいたことは尾崎監督に伝え、答えも最初から教えない。上田主将は「竹田先生は結論まで言わない。自分で見つけた感覚を大事にしている」と話し、尾崎監督も「竹田先生から教わったことは、自分の言葉で選手に伝えるようにしている」と言う。 国学院久我山は19年夏の甲子園に28年ぶりに出場し、春夏通じて初の白星を挙げるなど成果が出始めている。 竹田さんは今回のセンバツも、現地でチームを支える予定だ。「何のために野球をやるのか。目標は何なのか。チームの軸を明確にすることで取り組む姿勢が変わる。目的に見合う考え方と行動がしっかり根づいてきた」。名将と孫ほど年が離れた若き監督の二人三脚で、目指すチームに着々と近づいている。【浅妻博之】 ◇全31試合をライブ中継 公式サイト「センバツLIVE!」(https://mainichi.jp/koshien/senbatsu/2022)では大会期間中、全31試合を動画中継します。また、「スポーツナビ」(https://baseball.yahoo.co.jp/hsb_spring/)でも展開します。