あまりに過酷な環境に「人間かどうかも怪しくなる」…いまイランの刑務所で強制される「非人道的すぎる」独房生活
呼吸さえ困難な空間
その日の朝、私は気分が悪くなりバキヤタラ病院に連れて行かれたばかりだった。彼に夜は眠れているのかと聞かれたので、「一応は。でもあまりよくは眠れません」と答えた。「独房が落ち着かないんです。頭の下に毛布を敷いて、さらにその下にも毛布を広げていますが、顔も体もひどく擦れて」 彼はそれからしばらく話して出て行った。そのあとでさっきの尋問官が現れ、尋問の続きが始まった。独房のなかは暑くて、息を吸うことすら大変だったので、運動など不可能だった。食欲もなくなった。食事を受け取るものの、食べずにそのまま返した。看守に何度も何度も、独房のドアの端を少しだけ開けておいてくれないかと頼んだ。ドアがずっと閉じたままだったせいで、気分が悪くなったのだ。のちのセラピーで、自分は閉所恐怖症だったと知った。 独房にいることはつらく、耐えがたかった。そこを出るためなら心臓発作を起こしたかった。私の活動について聞かれることはなく、進行中の捜査もなかったため、この先何をされるのか、全く分からなかった。 私は常に脅されていた。タギは死刑になる、終身刑になる、と言われた。「タギは帰って来ないぞ」と尋問官があるとき言った。「自分の身は自分で守るんだな」。ひどい言葉だった。私は泣いた。涙があふれてきたが、その場では泣かないようになんとか頑張った。
人間性がはく奪されていく
狭い尋問室のなかで、私は壁に向かって座り、尋問官はそのすぐ後ろにいた。私が話をしている間、尋問官がペンの先で私の肩を何度も突いてくるので本当に頭に来た。 私が素足に履いているスリッパは普通のサイズの倍ほども大きかった。その足が氷のように冷たくなった。尋問官は私の体の異変に気づいた。夜のことで、その日、私は夕食を食べなかった。尋問官にミント・シロップを差し出され、あまりに気分が悪かったので飲み干した。 尋問官が良いと思ったときだけ、彼らは私を外に出して新鮮な空気を吸わせたが、そのような日課はあの場所には全くなかった。食事はステンレスかアルミのボウルに入っていて、水は古いプラスチックのカップで渡された。朝食、昼食、夕食以外には何ももらえない。食事の内容は粗末でほとんど食べられなかった。 独房に座っていると世界が止まってしまったように感じた。不安と恐怖に押しつぶされそうだった。自分が悲しいのか落ち込んでいるのかも分からず、もはや人間ではなくなったような気がしていた。 『イラン政府の「拷問」がもたらす「真の苦しさ」…可愛い双子と引き離され独房に監禁された女性が「見たもの」とは』へ続く
ナルゲス・モハンマディ