親しまれた福島弁 福島県郡山市出身の西田敏行さん死去 「愛してるぞーい」
76歳で死去した福島県郡山市出身の俳優西田敏行さんは東日本大震災、東京電力福島第1原発事故に心を痛め、被災者に寄り添った。イベントや県内ロケ地の作品に出演するなどして、復興に奔走した。愛嬌(あいきょう)あるキャラクターと飾らない「福島弁」で親しまれた。「もっと西田さんの演技を見たかった」。県民は早すぎる死を惜しんだ。 西田さんは震災直後、風評被害に苦しむ農家のため、県内のスーパーにボランティアで駆けつけ野菜や果物などの安全性をアピール。涙ながらに「福島は何があっても負けねえぞ!うつくしま福島を取り戻すべな」と呼びかけた。2011(平成23)年9月に郡山市で開かれた「LIVE福島 風とロックSUPER野馬追」では、大ヒット曲「もしもピアノが弾けたなら」などを歌い、落ち込む県民に安らぎを与えた。内堀雅雄知事は、復興に向かう県民に勇気を与える曲「あの街に生まれて」(秋元康さん作詞)の歌詞に心を打たれた。「県民の誇りであり、今後も私たちの心の中で永遠に生き続けることだろう」と語った。
双葉町の東日本大震災・原子力災害伝承館では、解説映像で発生当時の混乱や復興の歩みなどを伝えた。廃炉を語る場面では「私が生きているうちに見届けられっか、無理かもしんねえな」となまりを交え、長期に及ぶ作業の行方を伝えた。副館長の清水一郎さん(49)は「穏やかで力強く、説得力のある語り口は来館者に好評だった」と惜しんだ。当面、西田さんの声のまま映像を継続する。 福島県がロケ地になった作品にも多く出演した。2013(平成25)年には、会津若松市出身の新島八重の生涯を描いたNHK大河ドラマ「八重の桜」で会津藩家老西郷頼母を熱演。地元ロケを支援する部署「八重の桜プロジェクト対策室」室長を務め、市内の撮影現場に立ち会った江川忠さん(61)は「懐が深く、古里のためにという思いを強く感じる方だった」と振り返った。 1996年から、郡山市フロンティア大使を務め、古里の魅力を発信。今年9月16日の市制施行100周年記念祝賀花火にはボイスメッセージを送った。品川萬里市長は「市民の誇りであり、改めて感謝の意を表したい」と追悼の意を込めた。夏の風物詩「郡山うねめまつり」にも度々参加した。今年完成したエンディングテーマ「釆女(うねめ)ドンドコ」では歌を担当。「愛してるぞーい」の歌声が踊り流しのフィナーレを盛り上げた。郡山商工会議所の滝田康雄会頭は「今後もまつりと県民、市民を紡いでくれると思う」とコメントした。