夜の路上で、いきなり頭から南京袋をかぶせられた 北朝鮮に連れ去られた曽我ひとみさん、帰国までの24年 「若い人にこそ知ってもらいたい拉致問題」(前編)
心配していたら、帰ってきた娘たちが教えてくれた。ある生徒の母親と思われる人から「一緒に食べよう」と手招きされ、ご飯も分けてもらったという。食料事情が良いとは言えない中での好意に、曽我さんはとても感心した。 「(拉致を実行した)組織と無関係な人は、普通の人だったと改めて気付いた」 曽我さんは後になって日本に帰国し、講演などをする際には、北朝鮮の一般市民に対する気遣いや、感謝の気持ちについても言及している。 「自由こそなかったのですが、毎日がつらく苦しいものだった訳ではありませんでした。現地で暮らしている人たちはごく普通の人たちなのです。とは言っても、特別地区に住んでいたので、現地の一般的な状態を一部しか知りません。私たちと関わりを持っていた指導員はとてもいい人たちでした。確かに生活レベルは日本では考えられないくらい低いもので、物資なども常に不足している状態です。一部の特権階級の人々の犠牲になっているのは事実ですが、そんな中でも北朝鮮の人々は生き延びているのです」
北朝鮮での生活がこのまま続くと思われた2002年、事態は急転する。日朝首脳会談が行われ、拉致被害者5人が帰国することが決まった。思いがけない喜びがあふれた一方、新たな苦悩に直面することになる。 【後編はこちら】https://www.47news.jp/9773044.html