両親が別言語で話す家庭の子どもが、必ずしもバイリンガルにならないのは<当たり前>だった…必要性のないものに努力できないのは「学校の勉強」と同じ
◆必要性がないものに努力する気は起きない では、なぜ英語を話さずに日本語で話すのでしょうか。 先ほどまで友だちとはずっと日本語で話していたのであれば、ここで急に英語に切り替えるのが面倒だったり難しかったりするということもあるでしょう。 先ほどのケンくんも、日本語で友だちに言われたセリフを引用していましたが、実際このような場合、ぴったりの英語の表現を見つけるのは簡単ではありません。用件が伝わればよいという場合の翻訳とちがって、ニュアンスまでぴったりした表現を探すのは、それこそ翻訳家が専門的に取り組んでいるくらい難しい仕事です。 そのこととも関連しますが、日本語の園や学校に行って、今や日本語を使う時間の方が長く、日本語の語彙や表現の方が豊富になってきているとすれば、自分の言いたいことを表現するにはこちらの方がいい、これしかない、ということもあるかもしれません。 それに加えて、母親に日本語が通じることを知っていれば、子どもとしては「どうしてわざわざ(自分にとっては既に使いにくい)英語で話さなければいけないの?」ということにもなります。 この「どうして**しなくてはいけないの?」という問いかけは、そのまま、学校の勉強がイヤで「どうしてこれを勉強しなくちゃいけないの?」と不機嫌にしている子どもの姿と重なります。
◆子どもは子どもで見きわめて言語を選んでいる 学校の勉強に努力が必要なように、日常よく使う言語のほかにもう一つ母親の話す言語も維持していくのだとすれば、やはりそこにも努力が必要です。 “維持”と書きましたが、学校で日本語の語彙がどんどん増えることを考えれば、それに対応する英語の語彙も増やしていかなければ、2つの言語で同じ内容を語ることができるようにはなりません。 つまり、バイリンガルの子どもが、家だけで使う英語を、家の外で使う日本語と同じくらい“使える”状態に維持していくためには、モノリンガルの子どもの倍の努力が必要ということになります。必要性が感じられないなら努力する気にもなれないのは、ほかの学校の勉強と同じでしょう。 こうして、園や学校で長い時間使う言語は、語彙も表現も豊かに、口もよくまわるようになり、その言語こそが自分の気持ちをもっともうまく表現できる「私の言語」になっていきます。一方、家族とのあいだでしか使われない言語は、もとは母語だったとしても、語彙も増えず、口からなめらかに出てくることもなくなり、そうやっているうちに本当に話せなくなることもあります。 一人の親につき1つの言語というやり方は、子どもをバイリンガルに育てるには最良の方法とされてきました。ただ、そのような親の気持ちとは別に、子どもは子どもで、自分なりに、その言語の必要性が維持のコストに見合うものかどうかを見きわめ、言語を選んでいるのです。
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